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サイトトップ/騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム(第四百四十一回)
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騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム

【 第四百四十一回・第四百四十二回 】

第四百四十一回第四百四十二回/ 】 ※google map以外の衛星画像は国土地理院の電子地形図を加工して作成しています。
騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム
第四百四十一回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【福岡】高祖神社・香春神社【大分】比売語曽神社【大阪】比売許曾神社・赤留比売命神社~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「比売許曾神社」について(『比売許曾の社について』瀧川政次郎 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【伊都国には天之日矛(天日槍)、比売許曾を祀った社が存在したに相違ありません<中略>
 比売許曾の社を西から順々に数えてゆきますと、筑前国怡土郡の高祖神社、豊前国田川郡の香春神社、豊後国国前(東)郡の比売許曾神社、摂津国東生(成)郡の比売許曾神社、同国住吉郡の赤留比売命神社ということになります。私はこれらの比売許曾の社を次々につないで行った線が、近畿の帰化人が博多湾の糸島水道に上陸してから、近畿の各地に移っていった行程を示すものではないかと考えます。】

×「赤留比売」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【天日槍の嫡妻ということになっている比売許曾の神・赤留比売とはいったい何だったのであろうか。
 一言にしていうと、それは矛(剣)や鏡、玉をもって太陽神や祖神の神宮・神社を祭る天日槍集団のシャーマン(巫女)にほかならなかった。神を祭っていたものがのちには神として祭られるものになること、これは 大日孁貴というシャーマンだった天照大神にもその例をみることができる。というより、そのいわゆる天照大神も、比売許曾の神・赤留比売がそうなったものではなかったかと私は思っているが、大和岩雄氏も谷川健一編『日本の神々─神社と聖地』のなかで、天照大神の「原像」は赤留比売であったとしている。】

■■■ 縄文語解釈 ■■■

 古事記に記載されている赤留比売の物語とは、要約すると「新羅国の王子である天之日矛の嫡妻の赤留比売が日本に逃げてきた」という話です。上記では、その足跡に赤留比売を祭る神社があるのだと言っている訳です。

 残念ながら、古事記の荒唐無稽な物語を下敷きに論じているところからまずウソです。

”黎明期の日本の歴史を似ている地名を結びつけて物語を創作する。または漢字表記にこじつけてその意味を解釈する”

 記紀風土記以来、これが日本のデタラメ歴史を生み出す致命的欠陥となっています。


 「比売許曾神社」「赤留比売」については、すでに第三百四十四回コラムで取り上げていますが、『日本の中の朝鮮文化』の中で繰り返し述べられているので、こちらも完全否定しておきます。

 まずは糸島市の高祖神社。
 『比売許曾の社について』では「高祖」と比売許曾の「許曾」を「こうそ」と「こそ」で結びつけたいのでしょうが、しかし、これは「たかすじんじゃ」と読みます。後背に「高祖山」があります。

◎縄文語:「高祖山」 =「タン・カ・ヤマ」=「こちらの・上の・山」

 「高祖山」は地元では「臥牛山」とも呼ばれています。「牛が寝そべっている姿に似ている」という理由ですが、このような漢字表記こじつけ説は、通説、俗説問わず、すべてデタラメです。

◎縄文語:「臥牛(山)」 =「カン・キ」=「上の・山」

 で、単に「高祖山」の言い換え表現となっているだけです。

 高祖山に「タン=こちらの」がつくのは、北方の「鐘撞山(かねつきやま)」、東方の「叶岳」と対比関係になっているからです。

◎縄文語:「鐘撞山」 =「カンナ・テュ・ケ・ヤマ」=「上にある・峰(岬)の・ところの・山」
◎縄文語:「叶岳」 =「カンナ・テュ・ケ」=「上にある・峰(岬)の・ところ」


■高祖山と鐘撞山、叶岳 ※「上にある山」の対比表現。



 次に福岡県田川郡香春町の「香春(かわら)神社」。

◎縄文語:「香春(神社)」 =「カパ」=「水中の平岩」※神社前を流れる金辺川。

■金辺川 ※水中の平岩。「金辺(川)=キピ=水際の断崖」で「岐阜」「吉備」と同語源。


 祭神の「辛国息長大姫大目命」は「神功皇后(気長足姫)」と同一人物とされていますが、単に地勢が一致しているので同じ縄文語で呼ばれていた可能性が高いと言えます。

◎縄文語:「息長」=「オ・ナィ・カ」=「窪んだ・川の・ほとり」
◎縄文語:「気長足(姫)」 =「オ・ナィ・カ・トラィ・ウシ」=「窪んだ・川・のほとりの・湿地の水たまり・のところ」

 「窪んだ川」は日本のどこにでもあります。いちいち結びつけていたら、キリがありません。逆に言えば、どんな物語でも創作できてしまうということです。


 当然、祭神名に含まれる「辛国」は「韓国」の意ではありません。「韓」は縄文語の「カ=まわる」に頻繁に充てられる漢字です。

◎縄文語:「辛国」=「カ・コッネイ」=「まわる、巻く・谷のところ」 ※曲がっている谷。金辺川。

 彦山川の支流の金辺川は、本流の彦山川から逆方向に向きを変えて流れています。
 奈良の「軽」も同義で、高取川の曲がった地点を表現しています。(孝元天皇「境原宮」趾 goorle map→


■香春神社前を流れる金辺川 ※曲がっている谷。




 また、豊前国風土記には鹿春郷に”神功皇后が鏡で祈った”という「鏡山」が登場しますが、筆者はこの「鏡山」を香春岳に比定しています。香春岳の三ノ岳の別名は「天香山」です。いわずもがな、奈良の「香久山」と同義です。

◎縄文語:「鏡山」 =「カッ・ク・ムィェ・ヤマ」=「形が・弓の・頂の・山」
◎縄文語:「香山/香久山」=「カッ・ク・ヤマ」=「形が・弓の・山」


 いずれも「弓の形の山」の意で、二ノ岳、三ノ岳の山容を表現しています。

 縄文語の「弓の形の山」の表現は日本全国に存在します。以下、日本の歴史がいかにデタラメを語っているかをご覧下さい。


■鏡山大神社より香春岳二ノ岳、三ノ岳を望む  ※弓の形の山。三ノ岳別名、天香山。
×豊前国風土記逸文(『万葉集註釈』)【豊前国風土記にいう。田河郡。鏡山。郡の東にある。昔、気長足姫尊(神功皇后)がこの山にいて、遥かに国の形を見て、勅してうけいを行った。「天神(あまつかみ)も地祇(くにつかみ)も我がために福(さきわ)へ給え」と仰った。すると、御鏡を持って、ここに安置なさった。その鏡は、石となって今も山の中にある。よって名づけて鏡山という。】


■香久山/香具山(大和国)弓の形の山
<伊予国風土記逸文>
(『日本書紀纂疏』) 「風土記によると、天上に山があったという。分かれて地に落ち、一つは伊予国の天山となり、もう一つは大和国の香具山となった。」
<阿波国風土記逸文>(『万葉集註釈』) 「阿波国風土記の場合は、空から天降ってきた山の大きな方は、阿波国に降ったアマノモト山という。その山が砕けて、大和国に降り着いた山を天香具山というと書いてある。」


■香山(かぐやま)里(播磨国)(兵庫県たつの市新宮町香山)※弓の形の山
<播磨国風土記>「本の名は、鹿来墓(かぐはか)である。<中略>伊和大神が国占めした時、鹿が来て山の峰に立った。山の峰も墓に似ていた。だから、鹿来墓と名づけた。その後、道守臣(ちもりのおみ)が宰(みこともち)だった時になって、名を改めて香山とした。」


■鏡坂(豊後国)
(大分県日田市上野)※弓の形の山
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ・サン・ケ」=「形が・弓の・頂の・出崎の・ところ」
<豊後国風土記>「景行天皇が、この坂の上に上り、国の形をご覧になり、【この国の形は鏡の面に似ている】と言った。よって鏡坂という。」 

 ■鏡渡(鏡山)(肥前国)(佐賀県唐津市鏡山)※弓の形の山
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ・ウン・ワッタ」=「形が・弓の・頂・が(orに)ある・淵」
<肥前国風土記>「昔、宣化天皇の世、大伴狭手彦(おおとものさでひこ)連を遣わして、任那国を鎮め、また、百済国を救った。大伴狭手彦は命を受けてやって来て、この村に到った。篠原村の弟日女子(おとひめこ)と妻問婚した。日下部君らの祖である。弟日女子はとても容貌が美しい女性であった。狭手彦は別れる日に弟日女子に鏡を与えた。弟日女子は悲しみ泣きながら栗川を渡ったが、そのとき、鏡の紐が切れて川に沈んでしまった。よって鏡渡と名付けられた。」   
■隠れ里の稲荷(鎌倉)(神奈川県鎌倉市佐助)※弓の形の山
◎縄文語: 「カッ・ク・ネ・テューテュ」=「形が・弓・である・岬」
<佐助稲荷神社由緒>「伊豆の北条政子のもとで病に臥していた源頼朝の夢枕に【かくれ里の稲荷】という翁が立ち、平家討伐の挙兵を促した」
 
■各務(原)(岐阜県)
弓の形の山
◎縄文語: 「カッ・ク・ムィェ」=「形が・弓の・頂」


※その他の「弓の形の山」。
・鏡山(広島県東広島市)※鏡山には大内氏の鏡山城跡があります。 ⇒google ストリートビュー
・加賀美(旧加々美荘/山梨県) ⇒google ストリートビュー
・鶴来ヶ丘(常陸国)(茨城県鹿嶋市緑ヶ丘)=「カッ・ク・ラィイ」=「形が・弓の・死んでいるところ」=弓形の山の墓のあるところ ⇒google ストリートビュー
鏡坂(豊後国)(大分県日田市上野)※弓の形の山。 ⇒google ストリートビュー
・小熊山古墳(豊後国)(杵築市/3世紀後半~4世紀初頭/前方後円墳)⇒googleストリートビュー
・鏡塚古墳(石清尾山古墳群)(香川県高松市/古墳時代前期/積石塚の双方中円墳) ※弓の形の山に築かれた古墳。⇒googleストリートビュー
・柄鏡塚古墳(福井県福井市)※弓の形の山に築かれた古墳。 ⇒googleストリートビュー
カクメ石古墳=「カッ・ク・ムィ・シリ」=「形が・弓の・頂の・山」
(飯塚市/古墳時代中期~後期/円墳)⇒googleストリートビュー


 そして、香春神社の祭神「辛国息長大姫大目命」に含まれる「大姫大目(おおひめおおじ)」は、

◎縄文語:「大姫/大目」=「オオ・シプィ/オオ・チゥ」=「大きな・湧水/大きな・水流、水脈」

 で、「大姫」と「大目」 は縄文語によくある言い換え表現となっています。
 香春岳の麓の「鏡池(湧水)」には”神功皇后が姿を映した”伝承がありますが、もちろん創作です。そもそも「鏡岳」の物語がデタラメなのですから。


 「姫=シプィ=湧水」は、ほかのヒメコソ神社でも見られます。

◎縄文語:「比売語曽/比売許曾(神社)」 =「シプィ・コッ」=「湧き水の・窪地」

 大分県の姫島の比売語曽神社の隣には拍子水温泉(=湧き水の窪地)、大阪の比売許曾神社は湧水で有名な上町台地のふもとにあります。


■比売語曽と拍子水温泉 ※湧き水の窪地。


  「赤留比売命神社」も上町台地の湧水を指したものと思われます。

◎縄文語:「赤留比売(命神社)」 =「アカ・ル・シプィ」=「なだらかな尾根の・岬の・湧水」


〇「上町台地の湧水」について(天王寺区公式HPより引用)
【上町台地は、生駒山からの伏流水が地下を通り、良質な井戸水に恵まれた地です。大坂の町がたびたび飲料水不足に悩まされていた時代も、豊富な水が人々の生活を救いました。】


 大阪の上町台地の”なだらかな丘”の周辺に”湧き水”があったので、それらの縄文語地名から「赤留比売(なだらかな丘の湧水)」と「比売許曾(湧き水の窪地)」を生み出して物語を創作したということです。

 風土記等で各地の縄文語地名を収集していますので、日本と同じ縄文語圏の朝鮮半島南部から日本各地の同一縄文語地名を結びつければ壮大なファンタジーが誕生します。それが日本神話、日本黎明期の歴史の正体です。


 「天日槍」と「赤留比売」が夫婦として結びつけられた理由がちょっと気になりますが、それは城崎温泉にヒントがあるような気がしています。

 筆者が見るところ、天日槍の故国である「新羅」とは、単に「出石の城崎温泉の山裾」です。

◎縄文語:「新羅」=「シ・オ・ケ(orシロケ)」=「山・裾・のところ(or山裾)」
◎縄文語:「天日槍」=「ア・ヌピ・ポケ・イ」=「横たわっている・野原・沸いている・ところ」
◎縄文語:「城崎(温泉)」=「ケナ・ケ」=「川端の木原・のところ(の温泉)」
◎縄文語:「出石」=「エテュ・ウシ」=「岬・のところ」

 天日槍が差し出した神宝も出石周辺の縄文語地名です。(※詳しくは第三百二十二回コラムをご参照下さい。)「山裾=新羅」の地名は、日本国中、至る所にあります。神社や古文献は、それらを結んで新羅系渡来人の活躍として語っている訳です。

 そして、この城崎温泉には「 四所神社(ししょじんじゃ)」があります。


×「城崎温泉四所神社」について(『城崎語りぐさ/但馬五社と四所神社の縁起』 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【奈良時代、元明天皇元年(七〇七年)この地、大谿に住んでいた日生下(ひうげ)権守という者がありました。
 ある日のこと、霊夢に、四人の衣冠束帯の白髪の老人が現れて、権守につげて言いますには、「私は、出石明神の眷属である。この地にとどまり永く人々を利し、守って上げよう」と言って姿が消えました。
 権守は目覚めるやこの不思議を人々に告げ、里人と相談して社祠を建ててまつり、「四所大明神」と称して崇め奉りました。<中略>
 ある説では、湯所明神で、「四所」は湯所の転訛ともいわれる。
 日生下氏古文書の冒頭に、「日生下は、新羅、天日槍太子の後なり。太子、渤海を越えて此の大谿に入る・・・・・・」とある。新羅とは、今の韓国。渤海とは、日本海。大谿とは、今の湯島区。】


 一般的に神社の由緒は北方系渡来人周辺の出自を装飾するために語られるものなので捨て置きます。神社名の「四所」を縄文語解釈してみます。

◎縄文語:「四所」=「シ・チゥ」=「大きな・水脈、水流」

 これは、

◎縄文語:「比売語曽/比売許曾(神社)」 =「シプィ・コッ」=「湧き水の・窪地」

 に通じるものがあります。あくまで仮説ですが「城崎温泉」にも「シプィ・コッ=湧き水の・窪地」という呼び名があったとすれば、この地勢が仲人となって「天日槍」と「赤留比売」を結びつけたということができます。


■城崎温泉四所神社


 余談ですが、筆者が言う北方系渡来人とは、百済王族、高句麗系民族のことです。百済王族はもともと高句麗が出自で、高句麗は扶余系の民族です。そして、上代日本語は、百済王族語、高句麗語と同様に開音節で終わる特徴があります。
 一方、百済庶民、新羅、加羅諸国など、朝鮮半島南部は、日本先住民や東夷南蛮と同じ南方系民族で、閉音節で終わることが多い縄文語(アイヌ語)を共有しています。日本各地の大規模古墳名は縄文語解釈が可能で、大規模前方後円墳は朝鮮半島南部にも存在します。そして漢代の県名の多くは縄文語解釈可能です。この広大なエリア一帯が南方系民族の活動圏だったということです。

 大和は六~七世紀にかけて北方系渡来人に王権を簒奪されていますが、まさか、百済王族系の人々が直接飛んできた訳ではありません。朝鮮半島南部、そして日本各地にその拠点が必要です。
 朝鮮半島南部には任那日本府があったとされますが、筆者はそれが大和王権を簒奪した北方系渡来人の故地ではなかったかと考えています。南方系民族が主流の朝鮮半島南部にあって、任那は北方系民族が支配する限定的なエリアだったのではないでしょうか。
 そこから大和にたどり着くまでを辿ってみると、神武天皇の足跡になるのかもしれません。それはもちろんスサノオや邪馬台国の時代のことではなく、あくまで古墳時代のことです。

 天日槍も弥生時代の稲作や金属器を伴った渡来ではなく、同様に古墳時代を象徴する人物なのかもしれません。記紀風土記編纂時の為政者周辺に新羅系渡来人の大きな勢力があったということです。阿知使主など、他の渡来人も同様に考えることができます。

 ちなみに、応神朝に中国から渡来したとされる「阿知使主」は「東漢氏」の祖先とされています。縄文語では「阿知使主」と「東漢氏」はまったくの同義です。同一人物を分解して物語を創作した可能性があります。

◎縄文語:「(東)漢氏」 =「アゥ・ヤ・ウシ」=「枝分れた・陸岸・にいるもの、のところ」※対岸
◎縄文語:「阿知(使主)」 =「アッチャ」=「一方の岸、対岸」


騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム
第四百四十二回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【福岡】細石神社・鋤崎古墳・老司古墳・丸隈山古墳~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「細石神社」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【かつての細石神社(旧名佐々礼石)は近くの三雲遺跡に祭られた「伊都国王」を祭ったものではなかったか。少なくとも無縁のものではなかったはずで、奥野正男氏は、細石神社の正面が、高祖山麓の高祖神社を向いているところから、これも天日槍ゆかりのものではないかと書いている(「筑紫の神々の原像」)が、私もそうではなかったかと思う。】

■■■ 縄文語解釈 ■■■

 神社の祭神には真実などありません。 神社がどこを向いていようが、どんな遺跡が近かろうが、そんなものとは無関係です。神社は北方系の為政者周辺の出自を正当化、装飾するために設けられているもので、それは同時に南方系先住民による縄文語地名の意味を上書きする役割も担っています。

◎縄文語:「細石(神社)」 =「サン・サ・エテュ」=「前にある・湿地の・岬」

 「細石神社」は川原川と瑞梅寺川に挟まれた微高地にあります。川沿いは低地で、南方の上流部は背振山地です。つまり「前にある湿地の岬」という地勢になる訳です。


■細石神社 ※前にある湿地の岬に立地。



□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「鋤崎古墳、老司古墳、丸隈山古墳」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【それらの遺跡(鋤崎古墳、老司古墳、丸隈山古墳など)のことは、奥野正男氏の「今宿、高祖付近の朝鮮文化遺跡について」にかなりくわしく書かれている。奥野氏のこれは、青銅器ならびに鉄器、すなわち稲作とともに産鉄技術を持って渡来した天日槍集団がのこしたものとみられる製鉄跡を中心にしたものであるが<後略>】

■■■ 縄文語解釈 ■■■

◎縄文語:「鋤崎(古墳)」 =「シ・サン・ケ」=「山の・出崎・のところ」
 ※4世紀末~5世紀初頭、前方後円墳、横穴式石室 ※地名由来
◎縄文語:「老司(古墳)」
=「ラ・ウン・シ」=「低地・にある・山」

or「ラ・ウシ」=「低いところ・のもの」
 ※5世紀初頭、前方後円墳、横穴式石室 ※地名
◎縄文語:「丸隈山(古墳)」 =「マ・オロ・クマ・ヤマ」=「谷水・のところの・横に平べったい・山」
 ※5世紀前半、前方後円墳、横穴式石室 ※地名由来

 いずれも縄文語解釈可能ですが、 残念ながら古墳の固有名詞というよりも、周辺一帯の地名と捉えた方がよさそうです。ただし、これらは完全に地勢と一致していますので、時期は不明確ながら、この周辺で縄文語が使用されていたことは確実です。

 新羅王子とされる天日槍が日本書紀に登場するのは第十一代垂仁天皇の時ですが、私見では前代の第十代崇神天皇(=神武天皇=狗奴国王)は三世紀中頃の人物です。新羅国が史実性を帯びるのは四世紀中~後半のことなので、新羅王子の肩書きと矛盾が生じてしまいます。
 記紀風土記の編纂方針も神社同様に”北方系の為政者周辺の出自の正当化、装飾”にあるので、そこで大活躍する天日槍も、あくまで記紀風土記編纂時、七世紀前後の体制の象徴として、同役割を担っているとする方がしっくりいきます。
 

■鋤崎古墳 ※「山の出崎のところ」。


■丸隈山古墳 ※「谷水のところの横に平べったい山」


■老司古墳 ※「低地にある山」。



第四百四十一回第四百四十二回/ 】
※第一回~第三十一回「日本書紀のエラーコラム」/第三十二回~第九十二回「日出ずる国のエラーコラム」/第九十三回~「日没する国のエラーコラム」/第百九十七回~「日没する国のエラーコラム/第二百三回~「騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム」
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◎参考文献: 『地名アイヌ語小辞典』(知里真志保著、北海道出版企画センター)※参考文献を基に、筆者自身の独自解釈を加えています。/『日本書紀 全現代語訳』(宇治谷孟 講談社学術文庫)/『古事記 全訳注』(次田真幸 講談社学術文庫)/『風土記』(中村啓信 監修訳注 角川ソフィア文庫)/『古語拾遺』(西宮一民校注 岩波文庫)/『日本の古代遺跡』(保育社)/wikipedia/地方自治体公式サイト/ほか

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