
【 第四百七十一回~第四百八十回 】
第四百七十九回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【熊本】清原古墳群(江田船山古墳・虚空蔵塚古墳・塚坊主古墳・江田穴観音古墳)~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
○「江田船山古墳・虚空蔵塚古墳・塚坊主古墳」について(『江田船山古墳の出土遺物』乙益重隆 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【一八七三年(明治六年)正月のことであった。熊本県庁に残る「官省一途」という公文書綴によると、熊本県玉名郡内田郷江田村(菊水町江田)に住む農業、池田佐十なる者は、元日の午前二時頃ふしぎな初夢をみた。それは枕元に神様があらわれ、村内の下ヶ名清原(せいばる)にある自分の所有地である船山を掘れというお告げであった。そこでお告げのままに船山を掘ったら、宝物が出てきたというのである。〈中略〉
掘り進めて行くうちに土中から石櫃のようなものがあらわれ、その入口に扉石が立てられていた。今にして思えば、よくも最初から妻入りの横口式家形石棺という特殊な棺の入口に掘り当たったものである。その時扉石は打破ってこじあけたらしく、後に残りの部分が土中に埋っていた。〈中略〉
佐十の発掘した自分の持山、船山古墳というのは全長四六メートル(復原全長六一メートル)、後円部直径二六メートル、高さ七・九メートル、前方部幅二三メートル、高さ六メートルを有する前方後円墳である。内部には横穴式の家形石棺を埋設しているところから、おそらく二─三名を葬った家族墓であろう。周囲には虚空蔵や塚坊主の前方後円墳があり、船山とともに一九一五年国の史跡に指定された。】
江田船山古墳は五~六世紀初頭築造の墳丘長六十二メートルの前方後円墳で、銀象嵌銘をもつ大刀(鉄刀)が出土したことで有名です。石人、石馬が配置され、朝鮮半島南部由来の副葬品が多数出土しました。大刀に刻まれた文字には”被葬者のムリテが雄略朝に文官である典曹人として仕えた”とあります。第二十一代雄略天皇は五世紀中~後半の人物です。
この江田船山古墳は副葬品が出土する前から「船山」と呼ばれていました。農夫が石棺の場所をたやすく掘り当てたということは、「船山」が狭いエリアを指す固有名詞だったことを示しています。そして所在地は「清原(せいばる)」とあります。
◎縄文語:「船山」=「プッ・ナ・ヤマ」=「川口・の方の・山」
◎縄文語:「清原」 =「シル・パル」=「山の(or水際の崖の)・川口」
所在地は、江田川と菊池川の合流点。つまり、江田川の「川口」です。
この江田船山古墳の南西約一五〇メートルのところに「虚空蔵塚古墳」(六世紀初頭)があります。墳頂に虚空蔵菩薩が祭られていたことが名称由来とされているので、言うまでもなくこの古墳の固有名詞ということになります。名だたる神社仏閣の名称でさえ縄文語地名の仮借の漢字表記由来ですから、「虚空蔵塚古墳」も同様に考えると、
◎縄文語:「虚空蔵塚(古墳)」=「コッ・クッチャル・テュク」=「谷の・入口の・小山」
と解釈することが可能です。
これは「船山古墳」と同じ地勢の言い換え表現となっていることが分かります。
その他、「虚空蔵」を冠する古墳は、八代市に「鬼の岩屋虚空蔵古墳」、群馬県に「虚空蔵塚古墳」がありますが、いずれも「谷の入口」に築かれています。埼玉県行田市、静岡県富士宮市にもありますが、こちらは後世の開発で判然としません。小河川沿いであることは確かです。
■江田船山古墳周辺 ※菊池川と江田川の合流点。江田川の川口。
(※国土地理院の電子地形図を加工して作成)
■鬼の岩屋虚空蔵古墳(八代市) ※球磨川の谷の入口。球磨川河口。
■虚空蔵塚古墳(群馬県) ※利根川と吾妻川の合流点。吾妻川の入口。
江田船山古墳の南南西約三五〇メートルには「塚坊主古墳」(六世紀中~後半)があります。これも近隣の「松坂」の地名や周辺地勢の解釈と整合性がとれます。
◎縄文語:「塚坊主(古墳)」 =「テュ・カ・ポン・テュ」=「峰の・上の・小さな・岬、峰」
◎縄文語:「松坂」=「マーテュ・サン・カ」=「波打ち際の・平山・の上」 ※菊池川沿いの平山。
そのまま古墳と所在地の地勢を的確に表現していますから、これも固有名詞の可能性が高いと言えます。
これらの古墳の名称が固有名詞であり、縄文語解釈可能であるということは、少なくともその築造年代まではこの地域で縄文語が使用されていたということ示しています。必然的に被葬者は縄文語を共有する南方系民族(東夷南蛮、朝鮮半島南部、日本先住民)ということになります。
さらに、江田船山古墳の江田川を挟んだ対岸の川沿いの峰のほとりには「江田穴観音古墳」(六世紀後半~七世紀代)があり、近隣には「江田熊野座神社」があります。所在地には「馬場」という地名があります。「熊野」はこれまで何度も登場していますが、熊野本宮大社対岸の地勢を代表例に「横に平べったい岬」の意です。
◎縄文語:「(江田)穴観音(古墳)」=「アゥ・ノッケ・オ」=「枝分れた、隣の・岬の・尻(裾)」
◎縄文語:「熊野」=「クマ・ノッ」=「横に平べったい・岬」
◎縄文語:「馬場」=「パン・パ」=「川下の・岬」
一般的には、古墳に祀られた「虚空蔵菩薩」や「観音像」が古墳名になったとされていますが、他の神社仏閣の例を鑑みると、実態はまったくの逆です。古墳の縄文語名称(縄文語地名)に便乗してこれらが祀られた可能性が高いということです。
■江田熊野座神社後背の山 ※隣の岬。横に平べったい岬。川下の岬。
■和歌山熊野本宮大社周辺。 ※熊野本宮大社から見て熊野川対岸。 横に平べったい岬 。
第四百七十四回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【熊本県】熊本・肥国・八代神社・妙見信仰~」
×「熊本」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【肥後は「肥国」または「火国」といったもので、吉田東伍氏の『大日本地名辞書』をみると、益城郡の「白木平」のことがこうのべられている。
「白木妙見と号するもの今に到りて尚多し、・・・・・・白木は新羅に同じ、新羅国より其修法を伝えし義にや、八代の白木妙見記には百済国と云う、亦ほぼ其義理を同じくす」と。また、芦北郡の「白木」については、「此村は百済来の例を以て論ずれば、新羅来なるべし」とものべている。
それからまた、同じ『──地名辞書』によると、熊本はもと隈本だったが、「隈」の字をきらって熊本となったとあり、一方、球磨郡の「球磨、古の熊県なり」とある。そうだとすると「熊」も肥後とは古いつながりがあったにちがいない。
この熊のことについては、玉木善春氏の「熊野・ 牟婁という地名」にも「カミといいし語、転じてクマともいいけり、・・・・・・熊字読みてクマということは、もとこれ百済の方言に出し也、即ち今も朝鮮の俗、熊を呼びてク〈コ〉ムというは猶其古語の遺りたる也」「古語にクマといいしはカミという語の転ぜしなり」という新井白石の『東雅』や『古史通或問』などが引かれて書かれているが、朝鮮語コムの熊はもと、朝鮮の檀君神話に出てくる熊のそれからきたものだった。
そのコム(熊)が転じてカム(神)となり、カムナム(神の木)ということから「神奈備」ということもきたと思うが、また、古代日本では高句麗をさしてコマ(高麗)といったのもそれからきたものであり、さらにまた、肥国の肥をコマといい、肥人をさしてコマビト(『万葉集』旧訓)といったのもそれからきたものであった。
こうしてみると、クマモト(隈本、熊本)というのも、なかなか深い意味があってのことだったのである。もちろん、古代朝鮮の高句麗との関係においてであるが、そのことは熊本に多い高句麗系といわれる装飾古墳によってみてもわかる。】
■■■ 縄文語解釈 ■■■
◎縄文語:「白木平」=「シル・オ・ケ・タ・アン・ラ」=「山・裾・のところ・に・ある・低地」
日本全国「白木=山裾」です。「新羅来」とか、本当にやめていただきたい。葦北郡の「白木」の東隣には「白石」の地名がありますが、これも同類の解釈が可能です。
◎縄文語:「白石」=「シル・オ・ウシ」=「山・裾・のところ」
「山」があれば、当然「山裾」があります。そして、朝鮮半島南部の新羅、百済庶民、加耶も南方系民族で日本と同じ縄文語圏だと思われますから、「新羅=白木=山裾」です。ただし、日本全国の「山裾」は新羅由来ではありません。当該地の地勢由来です。
■葦北郡白木、白石 ※山裾のところ。
「妙見信仰」は一般的に、北極星、北斗七星を神格化した信仰とされていますが、これも縄文語地名を上書きするための古代人による荒技です。
◎縄文語:「妙見」=「ムィ・オ・キム」=「頂が・たくさんある・山」
の意です。
八代神社由緒には「白鳳9年(680)妙見神が亀蛇に乗り八千把村竹原津(現在の八代市竹原町付近)に上陸したことが創始」とありますが、この神が現れる前から「妙見=頂がたくさんある山」は間違いなく存在しています。
■日本三大妙見/八代神社(妙見宮)後背の山並み ※頂がたくさんある山。
以下、その他妙見。日本三大妙見の能勢妙見山、大内氏が信仰した妙見社の例をごらんください。千年以上にわたり、先住民文化が渡来文化によって徹底的に上書きされています。
日本三大妙見の一つである相馬妙見は、相馬氏が妙見を信仰したことによるものなので、地勢は無関係です。
■日本三大妙見/能勢妙見山(妙見宗総本山 本瀧寺/大阪府)の山並み ※頂がたくさんある山。
■妙見宮のあった防府市下右田の右田ヶ岳(中央) ※頂がたくさんある山。
■妙見信仰の金輪神社(山口県下松市)後背の大谷山、茶臼山、鷲津山の山並み。※頂がたくさんある山。
■岸津妙見社(防府市国衙町)後背の山。※頂がたくさんある山。
おまけ■妙義山(群馬県)※頂がたくさんある山。
「クマ」と「コマ」は意味が異なります。もちろん「神」の意ではありません。牽強付会も甚だしい。完全なファンタジーです。
◎縄文語:「熊野」=「クマ・ノッ」=「横に平べったい・岬」
◎縄文語:「高麗」
=「コム」=「湾曲した様」※丸山、湾曲した峰など。
or「コム・マ」=「湾曲した・谷川」
■熊野本宮大社対岸の峰 ※「クマ・ノッ=横に平べったい・岬」
■高麗山(神奈川県大磯町) ※丸山。
■高麗川(埼玉県日高市) ※湾曲する川。
「神奈備」は三輪山を代表とする「山頂(高所)の磐座」のことです。朝鮮語の「カムナム(神の木)」ではありません。
◎縄文語:「神奈備」=「カンナ・ピ」=「上にある・石」
「肥国」の人々を「コマビト」と言ったのではなく、おおよそ
◎縄文語:「コマビト」=「コム・マ・ピタル」=「湾曲する・谷川の・小石河原」
あたりのこじつけではないかと思います。
「熊本」は、
◎縄文語:「熊本」=「クマ・モ・テュ」=「横に平べったい・小さな・峰」
で、熊本城のある高台を指したとすれば、地勢と完全に一致します。
「肥国」は
◎縄文語:「肥(国)」=「ピ」=「石」
で、阿蘇山周辺に散らばる「巨石」を指したと解釈しています。
■熊本城の高台 ※横に平べったい小さな峰。
第四百七十五回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【熊本県】船野山・飯田山・荒帆神社・熊野坐神社~」
×「船野山・飯田山」について(『熊本地名研究会』第十七号 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【肥後国誌にある飯田山常楽寺と荒帆大明神社の縁起によると、欽明天皇十二年、天皇の命によって日羅が百済国より召喚された際、乗って来た船が此所に覆って山となった。今の船野山である。その船の四十八人の水夫を祀ったのが、荒帆神社である。】
×「船野山・荒帆神社」について(『熊本日日新聞』1982/1/1 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【「どこから見ても船が引っくり返った格好をしているから船野山」と土地の人々が言う標高三百七メートルのなだらかな山塊の根元に、舟神様を祀った荒帆神社がある。】
×「久麻加夫都阿良加志比古神社の神像」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【私が(荒帆大明神社に祀られる水夫の)その神像をみてすぐ思いだしたのは、能登の中島町にある久麻加夫都阿良加志比古神社の「朝鮮風の珍しい神像、いかにもコマ〈高麗=高句麗〉の神にふさわしい」(石川県高等学校社会科教育研究会編『石川県の歴史散歩』)というそれだった。〈中略〉
私は、「船が此所に覆って」うんぬんというのは後世の付会で、荒帆神社の「四十八人の水夫」の像という神像も、能登・中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社の「朝鮮風の珍しい神像」と同じように、益城平野のそこへ渡来した者たちが祀ったものではないかと思ったわけだったのである。】
■■■ 縄文語解釈 ■■■
「船野山」の所在地名は「赤井」です。 これは明らかに「船野山」の地勢を表現したものです。
◎縄文語:「船野山」=「フル・ネ・ノッ・ヤマ」=「丘・のような・岬の・山」
◎縄文語:「赤井」=「アカ・エ」=「魚の背のような尾根の・頭」※なだらかな尾根の山。
「船野山」は決して「船がひっくり返ったような山」ではなく、「丘のような山」「魚の背のようななだらかな尾根の山」の意です。
そして、その対比となるのが、南の「飯田山」です。
◎縄文語:「飯田山」=「エ・エン・テュ・サン」=「頭が・尖っている・峰の・平山」
■船野山(左)と飯田山(右)(熊野坐神社付近からの眺望)※なだらかな尾根の山と頭が尖っている峰の平山。
「飯田山」にまつわる地名由来潭として、wikipediaに以下のようにありますが、よくあるこじつけで、言うまでもなくおとぎ話レベルのものです。
【熊本市の金峰山に背くらべで負けて「もう、いいださん」と言ったために飯田山となったという民話も残る】(wikipedia)
飯田山の山頂には「白山神社」、船野山と飯田山の西麓には「熊野坐神社」があります。これまで何度も登場した両神社ですが、非常に相性のいい組み合わせです。
◎縄文語:「白山(神社)」=「ハク・サン」=「浅い・平山」
◎縄文語:「熊野(神社)」=「クマ・ノッ」=「横に平べったい・岬」
能登の「熊木川」の岸辺にある「久麻加夫都阿良加志比古神社」と高麗、高句麗を結びつけるのは完全な牽強付会です。そもそも神社というものは北方系渡来人である為政者周辺の出自の正当化、装飾を目的に設けられているので、その存在自体が根本的に牽強付会なのです。そこで語られる由緒は記紀風土記と密接に連携しています。
◎縄文語:「久麻加夫都阿良加志」 =「クマ・カプ・テュ・アルケ・ウシ」=「横に平べったい・薄っぺらな・峰が・半分、片割れの・ところ」
◎縄文語:「熊木(川)」 =「クマ・ケ」=「横に平べったい山・のところ」
「白山神社」は日本全国の「浅い平山」または「浅い平山を望む場所」にあります。熊野神社は熊野信仰の流行の影響があるので確度が下がりますが、それでもその多くは「横に平べったい山」にあります。
「久麻加夫都阿良加志比古神社」は極めて正確な周辺地勢の表現です。ストリートビューをご覧ください。
■室堂から望む白山奥宮と御前峰 ※白山「ハク・サン=浅い平山」。
(Alpsdake, Public domain, ウィキメディア・コモンズ)

■熊木川流域、久麻加夫都阿良加志比古神社後背の山並み。※横に平べったい薄っぺらな峰が半分、片割れのところ。
■熊野本宮大社対岸の峰 ※「クマ・ノッ=横に平べったい・岬」
船野山のふもとにある「荒帆神社」は
◎縄文語:「荒帆(神社)」=「アル・ポ」=「片割れの・子、小さいもの」
と解釈可能なので、「飯田山」との対比で「船野山」を指したものと捉えられます。
また、愛媛県東温市にも「船野山」がありますが、こちらの解釈は異なります。東から順番に、「船野山」「則之内」「番駄ヶ森」が「川上」「間」「川下」の順で並んでいます。
◎縄文語:「船野山」=「ペナ・ノッ・ヤマ」=「川上の・岬の・山」
◎縄文語:「則之内(すのうち)」=「シ・ノッ・ウテュル」=「大きな・岬の・間」
◎縄文語:「番駄ヶ(森)」=「パン・テュ・ケ」=「川下の・岬・のところ」
「船」を冠する地名は各地にありますが、その多くは「ペナ=川上の」の意です。まれに「パナ=川下の」「プッ・ナ=川口・の方の」「ポイナ=岩」に充てられることもあります。
繰り返しになりますが、縄文語と漢字は一意で結び付けられている訳ではありません。似た発音であればルール無用で結び付けられ、恣意的に物語が創作されているので、地名の解釈は周辺の地勢や地名との一致を優先させる必要があります。
■愛媛県船野山、則之内、番駄ヶ森 ※東から順番に、川上の岬、岬の間、川下の岬。
第四百七十一回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【佐賀県】綾部・綾部八幡~」
×「漢部郷」について(『肥前国風土記』)
【漢部の郷 郡の役所の北にある 昔、来目の皇子が、新羅を征伐しようとなさって、忍海(おしぬみ)の漢人に命じて、引き連れて来てこの村に住まわせて、兵器を造らせなさった。これによって漢部の郷という。】
×「綾部」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【中原町近くに川が流れていて、〈中略〉「安良川(やすろがわ)」とあった。〈中略〉
この漢部郷に百済・安耶(あや)系渡来人集団から出た「忍海の漢人」が居住していたことは事実であった。それは「綾部」「安良」などの地名がのこっていることからもわかる。
綾部はいいとして、安良がなぜそうかというと、古代南部朝鮮にあった加耶諸国のうちの一国だった安耶(あや)(安羅・安那ともいう)はまた安良とも書かれたからであるが、だいたい、漢氏・漢人族が本格的に展開したところは、大和の高市郡であった。〈中略〉『続日本紀』宝亀三年(七七二)条に「他姓の者は十にして一、二なり」とあるように、高市郡は百済・安耶系渡来人集団である漢氏とその係累とが総人口の八、九割を占めていた。
その漢氏族の中心根拠地は、有名な高松塚壁画古墳が発見された飛鳥の檜隈であった。ここにはいまも阿知使主をかれらの氏神として祭った於美阿志神社があり、同境内には氏寺だった檜隈寺跡があるが、かれらはどちらかというと、新羅・加耶系渡来人集団である秦氏族などよりはあとから来た「今来(いまき)」、すなわち新来の渡来人集団であった。〈中略〉
つまり高市郡はもと、今来の渡来人であったかれら漢人族がつくった「今来郡」だったもので、それが高市郡となった、ということがこれでわかるが、そこのころになると「人衆巨多にして居地隘狭なり(『坂上系図』)」ということで、同族の漢人たちを「更に諸国に分置(『同上』)」したというのである。】
〇「今来郡、高市郡」について(『坂上系図』 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【時に阿智王、奏して今来郡を建つ。後に改めて高市郡と号す。】
■■■ 縄文語解釈 ■■■
上記説は完全な妄想です。読んでいると頭がおかしくなりそうです。そもそも先住民の縄文語地名を上書きするために創作されたのが『風土記』に記載される漢字表記にこじつけた地名由来潭なのですから、それをベースに説を唱えれば、結果は推して知るべしです。
ヤマトの渡来人である忍海漢人の拠点は「葛城」周辺です。肥前国に姿を現したのは、単に「葛城」と「肥前国漢部郷」に共通の地勢があったからです。どこにでもあるありきたりな縄文語同一地名を結んで物語を創作する。記紀風土記以来連綿と続けられている、日本の歴史を捏造する典型的な手法です。
◎縄文語:「忍海(おしぬみ)漢(人)」=「オスッ・ヌピ/アゥ・ヤ」=「山のふもとの・野原/隣の・岸」
◎縄文語:「漢部」=「アゥ・ヤン・ぺ」=「隣の・岸にある・もの」
◎縄文語:「安耶」=「アゥ・ヤ」=「隣の・岸」
そして全国の「八幡神社」は「ペッチャム=川端」にあります。つまり、
◎縄文語:「綾部八幡(神社)」=「アゥ・ヤン・ぺ/ペッチャム」=「隣の・岸にある・もの/川端」
ですから、「川の隣岸(対岸)にある神社」という意味になります。
■綾部八幡神社 ※山のふもとの野原。川の隣岸(対岸)にある神社。
綾部八幡の対岸には縄文から弥生、古墳時代、さらに中世にいたるまでの姫方遺跡があります。それらから見て「対岸」を指したものと捉えられます。
単なる「川の対岸」があるたびに朝鮮半島と結びつける必要はありません。朝鮮半島南部も日本と同じ縄文語圏なのですから、同じ地勢に同じ地名が与えられることは至極当然なことなのです。
「阿知使主」と「東漢氏」は同じ地勢、「明日香」の言い換え表現です。
◎縄文語:「阿知(使主)」=「アッ・チャ」=「一方の・岸」※対岸
◎縄文語:「(東)漢氏」=「アゥ・ヤ・ウシ」=「隣の・岸・のもの」 ※対岸
◎縄文語:「明日香」=「アッ・チャ・カ(orアゥ・チゥ・カ)」=「一方の・岸・のほとり(or隣の、枝分れた・水流、水脈・のほとり)」
「東漢氏」を分割して、「阿知使主」という祖先を都合良く創作した可能性があります。
「檜隈」と「今来」も類似語源です。阿知使主を祀る「於美阿志神社」も似た解釈が可能です。
◎縄文語:「檜隈」=「ペナ・クマ」=「川上の・横に平べったい山」
◎縄文語:「今来」=「エムコ」=「水源」
◎縄文語:「於美阿志(神社)」=「オマン・アッ・チャ」=「奥にある・一方の・岸」
「今来=今来た=最近来た」というような笑えもしないオヤジギャグレベルの説はやめていただきたい。
「安良川」は「やすろがわ」と読みます。安良川西岸の「朝日山」を指したものと捉えられます。
◎縄文語:「安良(川)」=「ヤン・シル」=「岸にある・水辺の断崖」
◎縄文語:「朝日山」=「アシ・ぺ・ヤマ」=「立っている・ものの・山」※断崖の山
■安良川(左)と朝日山(右)※岸にある水辺の崖。
第四百七十二回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【佐賀県】船石遺跡~」
×「船石遺跡の支石墓」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【私たちはまず船石遺跡をたずねて、小丘陵の天神宮の裏にでんとすわっている支石墓をみたが、なるほど巨大なものだった。この支石墓が船に似た形をしているところから「船石」とよばれ、それが地名ともなったものらしかったが、上峰村教育委員会刊の『船石遺跡』によると、その二号支石墓の「船石」は長さ五・四一メートル、幅三・一二メートル、厚さ一・一二メートルの巨石であった。】
■■■ 縄文語解釈 ■■■
「船石」は”船に似た形をしている”のが由来ではありません。「船」は縄文語の「ペナ=川上の」に頻繁に充てられる漢字です。つまり、
◎縄文語:「船石」=「ペナ・エテュ」=「川上の・岬」
の意になります。 地勢を見れば一目瞭然です。
また、支石墓に隣接して天神宮がありますが、これも
◎縄文語:「天神」=「タン・シル」=「こちらの・山」
の意とすれば、「船石=川上の岬」とも辻褄が合います。 日本の初期神社の多くは縄文語地名の仮借の漢字表記です。
「船石」の川下には、比較対象となる大きな高台(岬)があり、「井手口」の地名もあります。
◎縄文語:「井手口」=「エテュ・クチ」=「岬の・喉」※喉のような岬
要するに「船石=船のような石」ではないということです。
■船石 ※川上の岬。
第四百七十三回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【佐賀県】唐津・加唐島・波多・唐川・半田~」
×「唐津」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【『日本地名大辞典』(1)「九州編」にも「唐津の地名は韓津から起こり」とあるように、もとは「韓津」というところだったということである。「津」とは「港」ということであるから、「韓」まはた「加羅の港」ということになるのであろうが、唐津市西北方、東松浦半島先端の「加唐島」などというのも、そういうことからきた地名だったかもしれない。
それからまた地名ということでは、唐津南方に一部は唐津市となった北波多村があり、近くの伊万里市にも南波多町があるが、唐津市にもかつては唐川村、波多志摩村、半田村などがあって、いまも半田川が市内を流れている。これら唐・波多・半田はどちらも新羅・加耶(加羅)系渡来人集団の秦氏族と関係がある。】
■■■ 縄文語解釈 ■■■
『日本地名大辞典』という仰々しい名前の辞典であろうと、間違いは間違いです。上記地名由来潭には正解が一つも含まれていません。これが通説となっているのですから、日本黎明期の歴史も推して知るべしです。
◎縄文語:「唐津」=「カル・チャ」=「曲がっている・岸」
「カル」は「曲がっている地勢」を指します。「曲がった峰」「曲がった頂(丸山)」「曲がった川、谷」「曲がった岸」などです。
唐津の地図を見て下さい。説明の必要もありません。もちろん地名由来は朝鮮半島とはまったく関係ありません。
■唐津 ※曲がっている岸。
「加唐島(かからしま)」は
◎縄文語:「加唐(島)」=「カッ・カル」=「形が・曲がり」 ※曲がっている島。
これも地図をご覧下さい。北端には「カリオ岬」という地名があります。
◎縄文語:「加唐(島)」=「カル・オ」=「曲がりの・尻、裾、外れ」
「ハタ」を冠する地名が「秦氏」とこじつけられるのは、もはや様式美となっています。
◎縄文語:「秦/波多/半田/その他ハタ」=「ハッタル」=「淵、水が深くよどんでいるところ」
唐津市北波多地区には「波多八幡神社」があります。「八幡=ペッチャム=川端」ですから、
◎縄文語:「波多八幡(神社)」=「ハッタル・ペッチャム」=「淵、水が深くよどんでいるところの・川端」
の意となります。北波多地区には徳須恵川流域の低地が深く入りこんでいます。一目瞭然、所在地の地勢そのままを表現しただけです。もちろん、秦氏はまったく関係ありません。
伊万里市の南波多は北波多の南に接しているだけなので、同一地域、同一地名と捉えることができます。
■波多八幡神社(唐津市北波多) ※淵、水が深くよどんでいるところの川端。
■北波多地区 ※徳須恵川流域の低地が深く入りこむ。
唐津市「唐川」は「とうのかわ」と読みます。朝鮮半島は関係ありません。
◎縄文語:「唐川」 =「テュンナィ・カ・ワ」=「谷川・のほとりの・岸(or方)」
■唐津市唐川 ※谷川のほとりの岸。
「波多志摩村」は比定地が不明でした。「半田」は川の名称にもなっているのですから、「ハッタル=淵、水が深くよどんでいるところ」そのままの意です。
第四百七十六回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【熊本】白木八幡宮・白山比咩神社・西安寺・百済来・多良木町・人吉市~」
×「白木八幡宮・白山比咩神社」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【私たちがそれらの神社をたずねたのは、白木八幡宮のある「白木は新羅に同じ」だからであり、「朝鮮の巫女・菊理姫」(本多静雄『古瀬戸』)を祭神とする白山比咩神社もまたそうだったからにほかならなかった。〈中略〉
肥後には白木、多良木(たらき)、百済来などというところがあちこちにある。】
×「葦北郡の白木」について(『大日本地名辞書』吉田東伍 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【今、大野村に併入す。鋒野峠の東にして其水脈は球磨河に帰す。此村は百済来の例を以て論ずれば、新羅来なるべし、推古紀十七年、百済人芦北津に到れる前年に、新羅人多く投化したる事を載す、真否必すべからずと雖、亦参考を要す。】
×「葦北郡の白木・百済来」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【白木が「併入」された大野村はいまは芦北町となっているが、ここにはまた「百済来」というのがみえる。芦北郡のこの百済来村は、一九六一年に八代郡に合併されて、いまは同郡坂本村となっている。】
×「多良木」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【球磨郡の多良木町であるが、これは吉田東伍氏流にいうと、「この多良木は百済来の例を以てすれば、多羅来なるべし」となるのではないかと私は思う。肥前に併合となった多良岳、多良見町の多良などとも同じで、これは古代南部朝鮮にあって、のち新羅に併合となった加耶(加羅)諸国のうちの多羅からきたものだったはずである。】
■■■ 縄文語解釈 ■■■
縄文語地名の仮借の漢字表記に意味を求めるのは完全な見当違いです。言うまでもなく「白≠新羅国」「百済≠百済国」「多良≠多羅」です。日本の歴史がこんなにも明らかな間違いを延々と続けているのは、先住民の存在を意識していないこと、その言語である縄文語(アイヌ語)を無視し続けていることに大きな原因があります。
記紀風土記以来、神社仏閣も含め、それだけ長く強く洗脳が続いているということです。日本は神の国などではありません。日本の神々の多くは北方系渡来人である為政者周辺の出自の正当化、装飾、先住民文化の上書きを目的として、縄文語地名の仮借の漢字表記の語呂合わせから生みだされたものです。
◎縄文語:「白木/新羅」=「シル・オ・ケ」=「山・裾・のところ」
◎縄文語:「百済来」=「クッチャル・ケ」=「湾や湖沼の入口・のところ」
◎縄文語:「タラキ/多羅来」=「タン・ラケ」=「こちらの・低地」
日本国内に「シラギ」「シロキ」「クダラ」「タラ」が無数にあるのは、それがありきたりな縄文語地名だからです。「山裾」「湾や湖沼の入口」「こちらの低地」があるたびに朝鮮半島の「新羅」「百済」「多羅」と結びつけられてはたまったものではありません。朝鮮半島南部も縄文語(アイヌ語)圏ですから、同じ地勢に同じ地名が与えられるのは当然です。そこに歴史的つながりはほぼありません。決して朝鮮系渡来人が大挙して押し寄せたことが理由ではありません。逆にこのような歴史のウソがはびこった原因がそこにあります。
上記、通説、俗説にある熊本の地名を検証してみます。
まずは「白木八幡宮」。「白木八幡宮」は山北八幡宮のことです。
「白木」は前述のとおり「山裾」の意です。そして日本全国「八幡宮」は「ペッチャム=川端」にあります。
つまり、
●「白木八幡宮」は「山裾の川端にある神社」
ということになります。
■ 白木八幡宮(山北八幡宮) ※山裾の川端の神社。
(※国土地理院の電子地形図を加工して作成)

次に「白山比咩神社」。現在地元では「西安寺白山宮(さいあんじはくざんぐう)」と呼ばれているようです。
加賀の白山を筆頭に、日本全国「白山神社」は「浅い平山」、または「浅い平山」を望む場所にあります。
◎縄文語:「白山」=「ハク・サン」=「浅い・平山」
西安寺白山宮自体も「浅い平山」にあり、目の前も「浅い平山」です。そして、所在地の地名は「西安寺」ですが、これは「白山」の地勢の言い換え表現となっています。
◎縄文語:「西安(寺)」=「サン・アゥ」=「平山の・枝分かれ」※枝分れた平山
白山宮の拝殿奥にこの地名由来となった「西安寺跡」があります。
● 「白山宮の西安寺跡」について
【(白山宮の)拝殿奥には、地区名の由来となった「西安寺跡」(熊本県指定史跡)があります。西安寺は、鎌倉時代に地頭としてこの地を治めた相良氏が信仰したお寺で、現在は礎石のみが残ります。】
その他、名だたる初期仏閣、飛鳥寺、四天王寺、法隆寺、東大寺なども、すべて縄文語地名の仮借漢字表記ですが、その由来で縄文語地名の意味が語られることは一切ありません。
■西安寺白山宮 ※浅い平山に立地。
■室堂から望む白山奥宮と御前峰 ※白山「ハク・サン=浅い平山」。
(Alpsdake, Public domain, ウィキメディア・コモンズ)
白山神社の祭神である「菊理媛」は「朝鮮の巫女」などではありません。これも加賀白山の地勢を表現しています。
◎縄文語:「菊理媛」=「クッ・キリ・シムプィ」=「崖の・岬の・湧水」
■大汝峰から望む白山(剣ヶ峰と御前峰)と火口湖 ※菊理媛尊「クッ・キリ・シムプィ」=崖の・山の・湧水」。
(Alpsdake, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, ウィキメディア・コモンズ)

【参考】神社の縄文語解釈
◎縄文語:「八幡(神社)」=「ペッチャム」=「川端」※全国の八幡神社の地勢。
◎縄文語:「春日(大社)」=「カシ・ケ」=「その上・のところ」(高台)※奈良の春日大社の地勢。
◎縄文語:「愛宕(神社)」=「アッ・タプコプ」=「片割れの・ぽつんと離れた山(or尾根の先端の突起の山)」 ※全国の愛宕山の地勢。
◎縄文語:「熊野(大社)」=「クマ・ノッ」=「横に平べったい・岬」 ※熊野本宮大社前の山。
◎縄文語:「白山(神社)」=「ハク・サン」=「浅い・平山、出崎」(薄っぺらな平山)※白山の地勢。全国の白山神社(から望む景色)の地勢。
◎縄文語:「薬師(神社、寺)」=「ヤ・ケシ」=「岸の・末端」(岸辺) ※奈良の薬師寺ほか、全国の薬師寺、薬師神社の地勢。
◎縄文語:「金刀比羅(神社)」=「コッチャル・ピラ」=「谷の入口の・崖」※香川象頭山の地勢。
◎縄文語:「新羅神社」=「シル・オ・ケ=山・裾・のところ」
◎縄文語:「高麗神社」=「コム・マ」=「湾曲した・谷川」
【参考】初期寺院の縄文語解釈
◎縄文語:「四天王寺」=「シテュ・ウン・ノッ」=「大きな峰・にある・岬」※上町台地の突端。
◎縄文語:「法隆寺」=「ポン・レル」=「小さな・山陰」※松尾山の麓の小丘陵。
◎縄文語:「斑鳩寺」=「エンコル・カ」=「岬の・ほとり」※松尾山の麓。
◎縄文語:「興福(寺)」=「コッ・パケ」=「窪地の・岬」 ※春日山の峰の突端。
◎縄文語:「登大路(東大寺)」=「トー・タンチャ」=「湖沼の・こちら岸」 ※周辺の地名は窪地で一致。
八代市の「百済来」は決して「百済人が来た!!」の意ではありません。
「百済=クッ・チャル=喉・口」が原義なので、「ある場所(湾、湖沼など)に接続する細長い入口」の意です。 八代市の「百済来」の場合は「内陸の盆地の入口」の意です。
■百済来川 ※内陸の盆地の入口。
球磨郡「多良木」町は前述のとおり、「こちらの低地」の意です。多良木町は人吉盆地(球磨盆地)北東部です。南西には「免田」地区が接しています。
◎縄文語:「タラキ/多羅来」=「タン・ラケ」=「こちらの・低地」
◎縄文語:「免田」=「メム・タ」=「泉・の方」
「タン=こちらの」は、よくある対比表現で、近隣に比較対照となる同じ地勢があります。多くの場合、比較対照となる地勢の方が規模が大きい場合がほとんどです。
人吉盆地の西の大きな低地は「人吉市」です。
◎縄文語:「人吉」=「ペッチャ・ヤチ」=「川岸の・泥」※川岸の湿地
太古の昔、人吉盆地は湖でした。加羅諸国の多羅と関係があるとすれば、朝鮮半島南部も縄文語圏だったので同じ地勢だったということです。決して「多羅から人が来た!!」ということが地名の由来ではありません。
■ 人吉盆地 ※東側に多良木町、西に接して免田地区。低地。
(※国土地理院の電子地形図を加工して作成)

第四百七十七回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【熊本】八代市・八代神社・白木妙見~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「八代」について(『肥後国誌』 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【八代、上古ハ神所也。故ニ社(ヤシロ)ト云リ。後ニ八代ト為ルナリ】
×「八代」について(『熊本日日新聞/熊本新風土記』井上辰雄 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【八代の地名は「ヤツシロ」のほかに「ヤシロ」の訓で読まれることは、以上のことで知られるが、「ヤシロ」は「八代」とともに「屋代」の字が当てられることも少なくなかった。その場合『出雲国風土記』意宇郡の屋代郷の条は示唆的である。・・・・・・
つまり、八代は屋代=社で、神社の意味であると解してよい。社はもと杜(もり)と同じで、神の降臨する聖木を中心とする神籬(ひもろぎ)式の杜を指したが、後になると、この祭祀の場所に拝殿や神の住居を常置するようになり、社もそれにともなって「ヤシロ」と呼ばれるようになる。「屋代」とは、神聖な建物に神を招(お)ぎ降すところから屋の依代=屋代が当てられることになったのであろう。もちろん、そのような場合でも御神木を依代とする基本的な祭祀観念が失われたわけではないことは、伊勢神宮の「心の御柱」や諏訪神社の「御柱」からもうかがえると思う。
その社を古くは「曾尸茂梨」と呼んでいたらしい。
この「ソシモリ」は「ソシフル」とか「ソホリ」とう言葉と関連があり、さらにたどれば朝鮮の徐伐(Spur)に通ずるという。三品彰英先生の説によれば、徐伐は古代朝鮮の国王が祖霊を神聖な樹木に降臨せしめてマツリゴトをした所であるという。そしてこの社こそが古代の政治集団の中核に一し、そこをよりどころとして彼らは活躍の場を広げていったのである。やがて、ある集団が勢力を伸張し、周辺の緒集団を統合し国家体制を広げてると、その社は所在地が都となることはいうまでもない。朝鮮の国都に徐伐(ソウル)の名が今日まで伝えられるのはそのためである。
そうすると、景行紀十八年の有名な火国地名由来伝承に見られる八代郡豊村を古訓では「トヨフレ」としているのは、大変興味深いといわなくてはなるまい。豊村の「村(ふれ)」は、神の降臨を意味する”降る”ことを現しているのではないだろうか。また「フレ」の語源とされる朝鮮の村(pur)や赫(purk)に通ずるという。『肥後国風土記』逸文に、空より燎(も)ゆる火が降り、八代郡の白髪山の賊を滅したことが火邑、火杭にの地名起源となったと説くが、これも雷神的な信仰がその根底にあったといってよいだろう。・・・・・・
このように見てくる限り肥後の八代は、火君(ひのきみ)が斎く神の「屋代」から起ったものであり、もとは火神を祀るものと想像してよいだろう。だが、この火君を祀る屋代は本来、宇土半島基部の「豊」の地域にあったのであろうが、既に延喜式の時代にはその所在がつまびらかではなくなっている。】
×「八代神社と白木妙見」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【私が白木山(八代神社境内右手の小高い山)中腹に立って思ったことをかんたんにいうと、八代のそこにはさきに新羅の白木神社があって、そこへ仏教からする北斗星信仰の妙見が重なったのではなかったか、ということである。】
×「八代神社と白木妙見」について(『八代市史』 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【江戸中期の学者間にも、縁起にいう白木山神をもって、最初の神名であろうとする考えがあったことは、「皇朝、妙見と名づくることは、もと釈氏におこる。そのはじめ白木平に鎮祭のときまでは妙見の名なく、白木山神といいたるゆえか、いまも妙見白木社とも称せり(『国史』一四六頁、補)」によくみえている。〈中略〉
支那・印度を「から・天竺」といったように、朝鮮は別名を「しらぎ」とよんだので、白木山神は朝鮮伝来の神の思想によったのであろう。】
■■■ 縄文語解釈 ■■■
あいかわらず、通説、俗説はメチャクチャです。荒唐無稽な記紀風土記の物語を下敷きにしている時点で、ほぼ真実はありません。地勢を見れば一目瞭然。
「八代神社」の別名は「白木妙見」です。
◎縄文語:「八代(神社)」=「ヤチ・シル」=「泥の・山、orところ」※湿地の山、湿地のところ。
◎縄文語:「白木/妙見」=「シル・オ・ケ/ムィ・オー・キム」=「山・裾・のところ/頂が・たくさんある・山」
「八代市」は、「八代神社(白木妙見)」の縄文語解釈から判断すると、
★八代市=「頂がたくさんある山のふもとの湿地」
という地勢だということです。もちろん「白木≠新羅」で、「白木=山裾」です。各地に「白木」の地名が無数に見られるのは、どこにでも山がたくさんあるからです。
八代神社の周辺地名も、湿地帯、窪地のほとりの解釈で一致しています。
「妙見」は日本全国「頂がたくさんある山」の意です。「妙見信仰」の多くは縄文語地名の仮借の漢字表記に渡来文化が便乗しているに過ぎません。相馬妙見のような信仰によって勧請されたものは除きます。(※第四百七十四回コラム参照)
■日本三大妙見/八代神社(白木妙見)後背の山並み ※頂がたくさんある山。
■ 八代平野 ※湿地の平野。
(※国土地理院の電子地形図を加工して作成)

◎縄文語:「島田(町)」
=「シ・マ・タ」=「大きな・谷水・の方」
◎縄文語:「牟田」=「メム・タ」=「泉・の方」
◎縄文語:「吉王丸」=「ヤチ・オー・マ・オロ」=「泥が・たくさんある・谷水・のところ」
◎縄文語:「古閑」=「コッ・カ」=「窪地・のほとり、岸」
◎縄文語:「上野(町)」=「ウェン・ノッ」=「難所の・岬」
◎縄文語:「松江」=「マーテュ・エ」=「波打ち際の・頭」
◎縄文語:「松崎(町)」=「マーテュ・サ・ケ」=「波打ち際の・浜・のところ」
◎縄文語:「永碇(町)」=「ナィ・カ・エンコル」=「川・岸の・岬」
◎縄文語:「日置(町)」=「シル・オ・ケ」=「山・裾・のところ」
余談ですが「日置≠砂鉄」です。「日置=山裾」の意なので、たまたま「砂鉄が採れる山」と地勢が一致したに過ぎません。
「豊村」の「村」を「フレ」と読むのであれば、
◎縄文語:「豊村」=「トヤ・フル」=「海(or湖沼)岸の・丘」
となり、八代市の地勢と完全に一致します。
「肥国」「火君」の「ヒ」は阿蘇山周辺の石のことです。
◎縄文語:「肥(火)国」=「ピ」=「石」⇒google 検索(阿蘇山 石岩)
以下
「ソウル」「ソブル」について。第四百三十九回コラム再掲。
百済の「所夫里(ソフリ)」、新羅の「蘇伐(ソブル)」、そして福岡の「脊振山」は
◎縄文語:「所夫里/蘇伐/脊振」 =「シアン ・フル」=「本当の、大きな・丘」
と解釈が可能です。
アイヌ語では有声音と無声音の区別がありません。また、「フル=ウル=丘」で、同じ単語の発音違いですから、「ソブル」「ソウル」の二つの言葉が存在することも簡単に説明がつきます。『日本の中の朝鮮文化』には「王城を意味する韓語」とありますが、正確な表現ではありません。「丘」や「山」が「王城」の地勢を表したか、あるいは比喩として使われたというのなら理解できます。
「新羅」の国名とその都「蘇伐」「金城」(現慶州市)の縄文語解釈も地勢と完全一致します。「新羅」は初め「斯蘆(シロ)」と呼ばれていましたが、それでも「シラギ」と同義です。
・「新羅」=「シル・オ・ケ(orシロケシ)」=「山・裾・のところ(or山裾)」
・「斯蘆」=「シル・オ」=「山・裾」
・新羅の都「蘇伐」=「シアン・フル」=「大きな・丘」
・「蘇伐」の別称「金城」=「キム(・城)」=「山(の・城)」
その他、南に連なる「蔚山」「梁山」「金海」「釜山」も”山”や”丘”に関する解釈が可能です。
◎縄文語:「蔚山」 =「ウル・サン」=「丘の・出崎」
◎縄文語:「梁山(良州)」 =「ヤン・サン」=「内陸の・出崎」
◎縄文語:「金海(金官加耶)」 =「キム・カ」=「山・のほとり」
or「キム・ヘ」=「山の・頭」
◎縄文語:「釜山」 =「プッ・サン」=「川口の・出崎」
これらの地名を発音が似ているという理由で結びつけると壮大なファンタジーが生まれます。それが、日本黎明期の歴史です。
■新羅の都、金城(現慶州市)周辺の縄文語解釈
(※国土地理院の電子地形図を加工して作成)

第四百七十八回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【熊本】稲佐・白木・群(むれ)村・花簇(はなむれ)村~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「稲佐・白木・群(むれ)村・花簇(はなむれ)村」について(『稲佐の歴史─知見の概要と問題点─』田辺哲夫 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【さて、この寺(稲佐廃寺)をどう考えればよいのだろうか。まず、寺の名は不明である。廃寺といって、地名を緘しているのはその故である。寺の特色といっても、瓦の文様からの話だが、唐草だけで構成されているという全国に例をみない瓦だけに、その個性をどう解釈するかだ。〈中略〉
唐草文様は、新羅系といわれている。そして、新羅との緊張関係がやや薄らぐ奈良時代から盛行する。新羅と聞くと、稲佐の東南二キロに白木という古くからの村落があるのが気になる。白木という地名は、新羅に由来することが多いからだ。玉名市津留の群村や菊水町の花簇(はなむれ)も朝鮮語に起源があり、古くからの地名である。当時、文化的にも遙かに優れていて指導的地位にあった新羅などの渡来人がすぐ近くに居を据えていたとなると、謎の一端が解けるような気もする。】
玉名郡の白木はすでに四百七十六回コラムで詳しく取り上げています。
◎縄文語:「白木」=「シル・オ・ケ」=「山・裾・のところ」
日本全国の「白木」同様、「山裾」の地勢です。
「津留」は典型的な縄文語(アイヌ語)由来の地名です。
◎縄文語:「津留」=「チル」=「したたる、したたり」
そこにある「群」という地名が朝鮮語由来というのは、朝鮮南部も日本と同じ縄文語圏ですから、あながち間違ってはいません。ただし、あくまで縄文語由来であって、朝鮮由来の地名ではありません。
「花簇」についても同様です。
◎縄文語:「群」=「ムィレ 」=「入り江であるところ」
◎縄文語:「花簇」=「パナ・ムィレ」=「川下の・入り江であるところ」
「花簇」の川上は開けた台地になっているので、「パナ=川下の」はそこを基点にした表現であることが分かります。
■玉名市津留 ※入江であるところ。
■萩原(花簇)周辺の景色 ※川下の入江。
稲佐廃寺のあった「稲佐」の高台には「稲佐熊野座神社」がありますが、神社名がそのまま所在地の地勢を見事に表現しています。「熊野」はこれまで何度も登場していますが、熊野本宮大社前の地勢と同じ「横に平べったい岬」の意です。
◎縄文語:「稲佐/熊野(座神社)」=「エン・ノッ/クマ・ノッ」=「突き出た・岬/横に平べったい・岬」※地形図(google map)→
■稲佐熊野座神社 ※突き出た岬、横に平べったい岬。
第四百八十回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【熊本】疋野神社・立願寺温泉(玉名温泉)・日置氏・疋野長者伝説(炭焼小五郎)~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「疋野神社」について(疋野神社公式HP)
【・疋野神社の創立は景行天皇築紫御巡幸の時より古いと伝えられ、2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社です。
・平安時代の六国史の一つ『続日本後紀』に 「仁明天皇承和7年7月庚子(西暦840年)肥後国玉名郡疋野神社を以って官社に預からしむ」と官社列格の年月日が銘記されている由緒深い神社「国史現在社」であり、また平安時代の国の法律書『延喜式』の神名帳にも記載されている、いわゆる「式内社」であり、県下でも特に貴重な存在です。 『延喜式』は延長5年(西暦927年)制定され、日本全国で当時すでに存在し、また著名であった神社が、国家守護の神社(官社=官幣社)として記載されています。
・現在熊本県下で宗教法人としての神社数は約1400社程ですが、式内社は阿蘇地方の阿蘇神社、国造神社、そして玉名地方の疋野神社の三社のみです。 】
×「日置氏」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【(疋野神社を氏神とした)玉名郡司となっていた、日置(へき)氏とはどういうものだったか。『新撰姓氏録』によると、その祖は「日置造、高麗の人、伊利須意弥(いりすおや)より出づ」とあるから、高句麗系の渡来人ということになるが、この日置氏というのもかなりの豪族だったらしく、全国あちこちに分布している。たとえば、長門(山口県)大津郡には日置町(現長門市)があって、そこの地名ともなっている。 】
この一連のコラムで幾度となく取り上げているとおり、初期神社仏閣の名称は縄文語地名の仮借漢字表記です。縄文語地名は所在地の周辺地勢を的確に表現していますが、それらが由緒で語られることは一切ありません。創作された神や渡来系の仏様だけがウソ物語を語ります。
神社というものは、記紀風土記の神話と連携して北方系渡来人である為政者周辺の出自を正当化、装飾するという役割を担っていますから、延喜式で神社の格式を述べること自体、お手盛りなのです。
例えば、大国主の神話で有名な「因幡の白兎」。これは、鳥取県の「白兎海岸」の縄文語地名から生み出されたものです。
◎縄文語:「(因幡の)白兎」=「シル・オ・ウン・サ・ケ」=「山・裾・にある・浜・のところ」 ※鳥取県の白兎海岸の地勢。山裾の浜。
■白兎海岸 ※山裾の浜
海の神とされる「住吉三神」も、もともとは先住民による「六甲山」の自然崇拝です。必然的に大阪の住吉大社よりも、六甲山のふもとの本住吉神社の方が祭神を祀る場所としてふさわしいということになります。
◎縄文語:「六甲(山)」=「ルッケイ」=「くずれているところ」=断層の六甲山
◎縄文語:「底筒男」=「ソコッ・テューテュク・オ」=「滝壺の・出崎の・尻」=滝のたくさんある出崎のふもと
◎縄文語:「中筒男」=「ナィコッ・テューテュク・オ」=「水のない涸れた沢の・出崎の・尻」=断層谷のある出崎のふもと
◎縄文語:「表筒男」=「ウェン・テューテュク・オ」=「険しい・出崎の・尻」=岩崖の出崎のふもと
■六甲山、馬の背(須磨アルプス)
伏見稲荷の「秦氏の祖、伊侶具が的とした餅が白い鳥になって飛び去った」という物語も単に縄文語地名の漢字表記に含まれる「稲」の漢字表記にこじつけられたものです。
当然主祭神の「ウカノミタマ」は穀物の神などではありません。その名は「稲荷山山頂の祭場」を指しています。眷属神の「狐」も、稲荷山頂付近の「岩崖」のことです。
◎縄文語:「稲荷」=「イナゥ・リク」=「幣の・高台」=高台の祭場=稲荷山山頂の祭場⇒google map
◎縄文語:伏見稲荷大社の主祭神「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」
=「ウカゥ・ウン・ミンタル」=「石が折り重なったところ・にある・祭場」=磐座⇒写真(google画像検索)
◎縄文語:稲荷神の眷属「狐」=「クテュニン」=「岩の段々のついている崖」=稲荷山⇒写真(google画像検索)
天女が水浴びする「羽衣伝説」、金の鶏が埋っている「金鶏伝説」、椀を貸してくれる「椀貸伝説」も同様です。
◎縄文語:「羽衣」=「パケ・ルム」=「岬の・頭」※羽衣伝説のある場所の地勢。
◎縄文語:「金鶏」=「キム・ケ」=「山・のところ」 ※金鶏伝説のある場所の地勢。
◎縄文語:「椀貸」
=「ワ・カシ」=「岸の・上(表面)」
or「ワ・ケシ」=「岸の・はずれ(末端)」※川・湖沼・海の岸辺。金鶏伝説のある場所の地勢。
鬼ノ城の「温羅伝説」、諏訪大社の「タケミナカタ」については、それぞれ第三百五十二回コラム、第三百七十一回コラムで詳説しています。
類例を挙げればきりがありません。
熊本の「疋野神社」および所在地名となっている「立願寺」も、ご多分に漏れず、縄文語地名の上書き名称です。いずれも所在地周辺の地勢、山裾の玉名温泉、あるいは湧水を指したものです。
◎縄文語:「立願寺(温泉)」=「レル・カ・ウン・チゥ」=「山陰・のほとり・にある・水脈」
◎縄文語:「疋野(神社)」=「ペ・ケ・ノッ」=「水・のところの・岬」※水辺の岬
◎縄文語:「日置(氏)」
=「シル・オ・ケ」=「山・裾・のところ」※「ひおき」が「へき」に転訛した場合。
or「ペ・ケ」=「水・のところ」※もともと「へき」の読みだった場合。湧水、温泉のところ。
疋野神社には都の姫君をめとって裕福になった「疋野長者」の伝承があります。 筆者はこれも縄文語地名の仮借漢字表記からのこじつけ創作ではないかと疑っています。
△「疋野長者伝説」(疋野神社公式HP)
【千古の昔、都に美しい姫君がおられました。
「肥後国疋野の里に住む炭焼小五郎という若者と夫婦になるように」との夢を度々みられた姫君は、供を従えはるばると小岱山の麓の疋野の里へやってこられました。
小五郎は驚き、貧しさ故に食べる物もないと断りましたが、姫君はお告げだからぜひ妻にと申され、また金貨を渡しお米を買ってきて欲しいと頼まれました。
しかたなく出かけた小五郎は、途中飛んできた白さぎに金貨を投げつけました。
傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行きました。
が、暫くすると元気になって飛び去って行きました。
お米を買わずに引き返した小五郎に姫君は
「あれは大切なお金というもので何でも買うことができましたのに」と残念がられました。
「あのようなものは、この山の中に沢山あります」 との返事に、よく見るとあちこち沢山の金塊が埋もれていました。
こうして、めでたく姫君と夫婦になった小五郎は、疋野長者と呼ばれて大変栄えて幸福に暮らしました。】
以下縄文語解釈。
◎縄文語:「炭焼/小五郎」=「シムプィ・ヤケ/コムケ・オリ」=「湧水の・岸辺/曲がっている・丘」
◎縄文語:「疋野/長者」=「ペ・ケ・ノッ/チゥ・チャ」=「水・のところの・岬/水脈の・岸」
疋野神社周辺の地勢と一致します。
■疋野神社、玉名温泉周辺の縄文語解釈 ※水辺の岬の解釈で一致。
(※国土地理院の電子地形図を加工して作成)

「炭焼小五郎」の「炭=シムプィ=湧水」は「ヒメコソ社」の解釈にも登場します。
◎縄文語:「ヒメコソ(神社)」=「シムプィ・コッ」=「湧水の・窪地」※姫島の拍子水温泉、上町台地の湧水。
姫島のヒメコソ社は拍子水温泉に隣接、大阪のヒメコソ社は上町台地の湧水周辺にあります。
疋野長者の物語に登場する「白さぎ」「金貨」も地勢と一致する縄文語解釈が可能ですが、ちょっとやりすぎかもしれません。
◎縄文語:「白さぎ」=「シル・オ・サン・ケ」=「山・裾の・平山・のところ」
◎縄文語:「金貨」=「キム・カ」=「山・のほとり」
■比売語曽神社(姫島)※拍子水温泉に隣接。湧水の窪地。
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