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騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム

【 第四百四十四回~第四百五十回 】

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騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム
第四百四十六回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【福岡】筑紫、筑紫神社白日別~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「筑紫神社」について(wikipedia)
【『釈日本紀』所引『筑後国風土記』逸文では、筑後国は元は筑前国と合わせて1つの国(筑紫国)だったと記している。また「筑紫」の由来として、2国の間の坂が険しく鞍が擦り切れるため「鞍尽くし」といった説、2国の境に荒ぶる神が居て往来の人が命を落とす「命尽くし」の神といったが筑紫君・肥君の祭祀で治まったという説、前説における多数の死者の弔いのため棺を作ったところ山の木々が無くなったという「木尽くし」による説の3説を載せるが、第2説と筑紫神社祭神の筑紫神との関連が指摘される。なお本居宣長は、『古事記伝』において「命尽くし」の由来説を有力視する。これらの伝説が筑紫神社の成立に直接関わるかは明らかでないが、中でも筑紫君(筑紫国造)・肥君(火国造)が祀ったという所伝が特に注目されている。当地は筑紫君の勢力圏内であるが、肥君が本拠地の九州中央部から北九州に進出したのは6世紀中頃の磐井の乱が契機で、この所伝にはその進出以後の祭祀関係の反映が指摘される。また、白日別神・五十猛命を筑紫国造、火国造の遠祖神とする説からは、後に筑紫神社を奉斎した少弐氏流の筑紫氏は、筑紫国造後裔の筑紫君の跡を継いだことが想定される。

 そのほかに、筑紫神について白日別神とする説や五十猛命とする説がある。
白日別神(しらひわけのかみ)
 吉村千春による説。『古事記』の国産み神話においては、筑紫島(九州)の4面として筑紫国、豊国、肥国、熊曽国の記載があり、「筑紫国を白日別という」とあることによる。光・明・日を表す朝鮮の借字が「白」であることから、朝鮮との関係が指摘される。
五十猛命(いそたけるのみこと)説
 松下見林・貝原益軒による説。『日本書紀』では神代の別伝として、スサノオが五十猛神(五十猛命)を連れて新羅に天降り、のち出雲に移ったとある。このとき、五十猛神は多くの樹種を持っていたが、韓国では植えず、筑紫から始めて国中に播いたと伝える。以上の説話から、五十猛神が渡来系の神であったことがうかがわれ、やはり朝鮮との関係が見える。〈中略〉
 白日別・五十猛命の伝承も合わせると、渡来者集団による祭祀が指摘される。】

×「白日別」について(『古史通或問』新井白石(上田正昭訳) ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【太古の代に「筑紫洲(つくしのしま)」を「白日別(しらひわけ)」といい、また「熊襲国」ともいうと伝えられているが、「白」を読んで「シラ」というのは、「斯羅(しら)」というのと同じである。「熊」を読んで「クマ」というのは、「狛」を読んで「コマ」といったりするのにきわめて近い。これらもまた「斯羅」や「狛」などの国の一種であったのであろうか。】

×「白日別」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【ここ(『古史通或問』新井白石)にいう「斯羅」「狛」とは、古代朝鮮の新羅、高麗=高句麗のことであるのはいうまでもないであろう。〈中略〉つまり「白日別」とは「新羅からの別れ」ということにほかならなかったのである。
 白日の「日」は新羅で信仰されていた日神・太陽神をさしたもので、新羅が「白日」となり、その「白日別」が「韓神」となったのも、そういうことからだったにちがいない。要するに〈中略〉筑紫君磐井一族は、その新羅や加耶と密接な関係にあったのである。】

■■■ 縄文語解釈 ■■■

 金達寿氏が「シロ」「シラ」「コマ」を”新羅”、”高句麗”と結びつけて「いうまでもない」と言うほど、日本の歴史には通説としてデタラメがはびこっているということです。

 「新羅」含め、「斯羅」「白」は

◎縄文語:「新羅/斯羅/斯羅」=「シ・オ」=「山・裾」

 の意で、日本全国に無数に存在する地勢です。朝鮮半島南部も倭人と同じ縄文語圏ですから「新羅」「斯羅」も「山裾」の意です。

 スサノオや子のイタケルが新羅出身だということですが、筆者が見るところ、これも単なる日本国内の「山裾」です。記紀風土記は、このようなありきたりな縄文語同一地名を結びつけて神話などの物語を無数に創作しています。

 必ずと言っていいほど高句麗と結びつけられる「コマ」も、これまで何度も登場しています。

◎縄文語:「高麗/狛/鴨/蒲生」など
=「コ・マ」=「湾曲した・谷川」

or「コ」=「湾曲したもの」※ほとんどの場合「丸山」を指す。

 「クマ」は多くの場合、「コマ」とは異なる地勢を指します。

◎縄文語:「熊/隈/球磨」など=「クマ」=「横に平べったい山」

 熊野本宮大社熊野川対岸の景色を見てみて下さい。こういう地勢を縄文語で「クマ」と呼びます。これが、高句麗と関係ありますか?


■熊野本宮大社熊野川対岸 ※「クマ・ノッ=横に平べったい・岬」
■埼玉県日高市 高麗川/高麗神社 ※湾曲する川。
■大磯高麗山  ※持ち手の曲がりのような湾曲した山(丸山)。


 「筑紫神社」はいわゆる「筑紫国」とは語源が異なると考えます。 縄文語と漢字は一意で結びつけられてはいないので、周辺地勢との一致を優先して解釈しなければなりません。

 「筑紫国」を縄文語解釈すれば、

◎縄文語:「筑紫」=「チクシ」=「海岸の難所」

 となります。これは「早良」の解釈とも一致します。

◎縄文語:「早良」
=「シアン・ウェン・ラ」=「大きな・難所の・低地」

or「サン・ウェン・ラ」=「前(or浜)にある・難所の・低地」

 国名ですから、象徴する地勢といえば「海辺の難所」とする方がふさわしく思えます。
 そして、筑紫国の別名である「白日別」も。

◎縄文語:「白日別」
=「シ・オ・ピ・ワカ」=「山・裾の・石の・水」

or「シ・オ・ピ・ワ・ケ」=「山・裾の・石の・岸・のところ」

 これも「玄界灘」沿岸にふさわしい形容です。”新羅からの別れ”のはずがありません。完全な牽強付会です。
 東に接する響灘も同類の解釈が可能です。

◎縄文語:「響(灘)」=「ピピ・ケ」=「石がたくさんある・ところ」

 ちなみに、「肥国」も「ピ=石ころ」の意で、これは阿蘇山のカルデラ周辺に散らばっている石、岩を指したものと捉えられます。言うまでもなく、日本書紀の「景行天皇を火が導いた」というのはデマカセです。

 話を元に戻します。一方、海辺ではない「筑紫神社」は

◎縄文語:「筑紫(神社)」=「テュ・ウシ」=「小山・のところ」

 の解釈が地勢と一致します。周辺には小山や小高い丘陵が点在しています。

 「筑紫」の読みに「チクシ」「ツクシ」があるということは、語源となっている縄文語が異なることを示している可能性があります。

 似たような例に「八幡」があります。「はちまん」「やはた」「やわた」の読みがありますが、いずれも対応する縄文語が存在します。

◎縄文語:「はちまん」=「ペッチャ」=「川端」※日本全国の八幡神社の地勢
◎縄文語:「やはた」=「ヤン・ハッタ」=「陸岸の・淵、水が深くよどんでいるところ」
◎縄文語:「やわた」=「ヤン・ワッタ」=「陸岸の・淵、水が深くよどんでいるところ」
※「ハッタ」=「ワッタ」で同じ単語の発音違いです。

 とにかく、「鞍尽くし」「命尽くし」「木尽くし」など、堂々と世間一般で語られるこのような説が、まるでトンチンカンだということだけは断定できます。

 縄文語地名に上書きしてこういうことを語るのが記紀風土記なのです。たとえ新井白石や本居宣長であろうと、高名な学者であろうと、これを真に受けていては、とてもまともな解など導き出せる訳がありません。


■筑紫神社周辺  ※周辺には「テュ・ウシ=小山・のところ」が点在




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騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム
第四百四十四回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【福岡】大宰府・大野城(大野山、四王寺山)~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「大宰府・大野城」について(『日本史跡辞典』和歌森太郎監修 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【白村江敗戦後二年めの天智天皇の四年(六六五)、基肄城などとともに大野城は築かれた。百済からの渡来者によって築かれたもので、西海防備と大宰府守護が目的であった。大野山に、北の大城、西の大野、西北の鼓ヶ峰、南の岩屋四山があり、別称四王寺山ともいう。大野山の尾根に八キロメートルにわたる土塁が築かれ、主な谷間には石塁がつくられた。遺っている石塁の代表的なものは、四王寺川沿いの宇美町側にある百間石垣である。城門も水城口・坂本口・宰府口などといわれる礎石を遺している。四百メートルの山上に立てば、博多湾・玄界灘に向かった大宰府防衛ラインの要である実感がわく。水城防塁と接し、それは基肄城に連なるのである。】

■■■ 縄文語解釈 ■■■

 ほとんどの人が勘違いしていますが、飛鳥~平安京までの権力中枢は主に”北方系”渡来文化です。”南方系”日本先住民の文化ではありません。 まず、”上代日本語を使っていること自体が北方系渡来人である明らかな証拠”なので、すべての古文献が上代日本語で書かれている以上、まったく言い訳が通用しません。
 上代日本語が開音節で終わる特徴を百済王族語、高句麗語と共有する一方、縄文語、新羅語は閉音節で終わる特徴があります。

 日本全国の地名のほぼすべては南方系先住民の縄文語(アイヌ語)起源です。東夷南蛮、朝鮮半島南部、そして日本全域の広大なエリアが縄文語圏でした。それは、筆者が行った日本全国の大規模古墳名、中国漢代の県名、山海経の妖怪の縄文語解釈が如実に示しています。

 山海経の妖怪は中原の勢力が四夷の言語に自らの言語である漢字を充て、その漢字表記にこじつけて創作したものですが、縄文語に漢字を充てる作業は日本に渡った渡来人によっても続けられました。そして山海経の妖怪と同じ過程を経て日本の八百万の神が生まれることになった訳です。

 古くからの寺社の名称も縄文語地名が起源ですが、その由緒で真実が語られることは一切ありません。

■初期寺社の縄文語解釈
◎縄文語:「八幡(神社)」=「ペッチャ」=「川端」※全国の八幡神社の地勢。
◎縄文語:「稲荷(大社)」=「イナゥ・リ」=「幣の・高台」=高台の祭場 ※京都稲荷山山頂の祭場。
◎縄文語:「春日(大社)」=「カ・ケ」=「その上・のところ」(高台)※奈良の春日大社の地勢。
◎縄文語:「愛宕(神社)」=「アッ・タ」=「片割れの・ぽつんと離れた山(or尾根の先端の突起の山)」 ※全国の愛宕山の地勢。
◎縄文語:「熊野(大社)」=「クマ・ノッ」=「横に平べったい・岬」 ※熊野本宮大社前の山。
◎縄文語:「白山(神社)」=「ハ・サン」=「浅い・平山、出崎」(薄っぺらな平山)※白山の地勢。全国の白山神社(から望む景色)の地勢。
◎縄文語:「薬師(神社)」=「ヤ・ケ」=「岸の・末端」(岸辺) ※奈良の薬師寺ほか、全国の薬師寺、薬師神社の地勢。
◎縄文語:「金刀比羅(神社)」=「コッチャ・ピラ」=「谷の入口の・崖」※香川象頭山の地勢。
◎縄文語:「四天王寺」=「シテュ・ウン・ノッ」=「大きな峰・にある・岬」※上町台地の突端。
◎縄文語:「法隆寺」=「ポン・レ」=「小さな・山陰」※松尾山の麓の小丘陵。
◎縄文語:「斑鳩寺」=「エンコ・カ」=「岬の・ほとり」※松尾山の麓。
◎縄文語:「興福(寺)」=「コッ・パケ」=「窪地の・岬」 ※春日山の峰の突端。
◎縄文語:「登大路(東大寺)」=「トー・タンチャ」=「湖沼の・こちら岸」 ※周辺の地名は窪地で一致。


 日本全国で縄文語が使用されていたことを前提とすると、次に気になってくるのは、上代日本語への切り替わりのタイミングです。筆者はこの言語の境界線を探るべく、天皇の諡号の縄文語解釈を進めましたが、その痕跡を乙巳の変(六四五)に見つけることができました。日本書紀には、乙巳の変において蘇我本宗家とともに多くの歴史書が灰燼に帰したとあります。そして以後、天皇諡号の縄文語解釈は不可能になり、逆に日本語で辻褄の合う解釈が可能となり始めます。筆者はこれが南方系先住民と北方系渡来人の権力の交代を示すものだと考えています。(※「日出ずる国のエラーコラム[総集編]」参照)

 天智天皇はまだその余韻覚めやらぬ頃の人物で、権力中枢の争いは継続中です。

 『日本史跡辞典』には、大野城が”百済からの渡来者によって築かれた”とありますが、それは”大宰府”も同じです。違いがあるとすれば、古墳時代に渡来した先行渡来人か、飛鳥時代になって渡来した後発渡来人かの違いです。

 「大宰府」もその存在自体が”北方系”である可能性が高いのですから、後背に百済系の人々が朝鮮式山城の「大野城」を築くのは極めて自然な流れです。備中国府背後の鬼ノ城、讃岐国府背後の城山城にしてもしかり。

 これらの朝鮮式山城が北方系だとして、彼らが想定していた敵とは本当に白村江で戦った新羅、唐の連合軍だったのでしょうか。筆者は、彼らの想定する敵が実は日本国内の南方系先住民でもあったのではないかと疑っています。全国の大規模古墳の名称が縄文語解釈可能ということは、大規模古墳を築造するような大きな勢力がそれだけ地方に盤踞していたということです。朝鮮半島南部の新羅も同じ南方系の縄文語圏なので、新羅が日本に攻めてくれば、日本先住民が呼応して蜂起することも可能性として考えられます。北方系渡来人がヤマトの権力を握って間もない頃のことですから、地方においてはさらに混沌とした状況であったことは想像に難くありません。

 「大宰府」は「大宰(おほ みこともち)」という地方行政長官が置かれた政庁を指すとされています。この「大宰」は、中国の「太師(周、漢、後漢)─太宰(晋)」の役職から名づけられた可能性がありますが、筆者はこれも縄文語地名由来ではないかと疑っています。なぜなら、周辺地名の多くが「大宰府」やその地勢と辻褄の合う解釈が可能だからです。

 世間一般では、”ダザイフ”の”ダ”に充てる漢字について、「大」と「太」で論争があるようですが、筆者にとって重要なのは、その役職名の発生源が”中国役職”にあるのか、あるいは”縄文語地名”にあるのかです。
 もし縄文語由来であるならば「大」と「太」の違いなど、いずれにせよ単なる仮借表記の違いということになるので、その論争自体大した意味を持ちません。日本史の多くがこの類いのものを追求していますが、キラキラネームに意味を求めているようなものです。

 まずは、「大宰府」政庁の縄文語解釈から。所在地名の「観世音寺」はよくある同一地勢の言い換え表現だった可能性があります。

◎縄文語:「大宰(府)」=「タンチャ(・エプィ)」=「こちら岸(・の小山)」
◎縄文語:「観世音(寺)」=「カン・チャ・オ」=「上にある・岸の・尻(末端)」 ※高台の岸のふもと、外れ

 そして、大宰府政庁の御笠川対岸の地名。

◎縄文語:「通古賀(とおのこが)」=「タン・ナィコッ・カ」=「こちらの・涸れた川の・岸」
◎縄文語:「朱雀」=「シ・チャ・ケ」=「山の・岸・のところ」
◎縄文語:「五条」=「コッ・チャ」=「谷の・岸」

 これらはいずれも「四王寺山」のふもとを流れる「御笠川」流域の地勢を指したものです。


■大宰府政庁周辺の縄文語解釈
(※国土地理院の電子地形図を加工して作成)



 大野城のある「四王寺山」は「大野山」とも呼ばれ、頂を東西に割るように真ん中に谷が走っています。

◎縄文語:「四王寺山」=「シ・オッチ・ヤマ」=「大きな・盆の窪のような窪みの(峠)・山」
◎縄文語:「大野山」=「オオ・ノッ・ヤマ」=「大きな・岬の・山」

 ”大城山、岩屋山、水瓶山、大原山がある”ことから「四王寺山」と呼ぶというのが通説ですが、では「王寺」はどこから来たのでしょうか。

  大阪の上町台地突端に築かれた「四天王寺」とも名称が似ていますが、「四天王寺」は

◎縄文語:「四天王(寺)」=「シテュ・ウン・ノッ」=「大きな峰・にある・岬」

 の意で、そのまま上町台地突端の地勢を表現しています。 「○○天」というようなインドの神は地名由来にはまったく関係ありません。聖徳太子も大概大ウソつきです。法隆寺(斑鳩寺)も前述のとおり、万事この調子です。

◎縄文語:「法隆寺」=「ポン・レ」=「小さな・山陰」※松尾山の麓の小丘陵。
◎縄文語:「斑鳩寺」=「エンコ・カ」=「岬の・ほとり」※松尾山の麓。

 大宰府政庁のある観世音地区の北東には、隣接して次の地名があります。

◎縄文語:「連歌屋」=「レケ・ヤ」=「山向こうのところの・陸岸」
◎縄文語:「三条」=「サン・チャ」=「出崎、平山の・岸」
◎縄文語:「岩屋(山)」=「イワ・ヤ」=「山の・陸岸」


  いずれも地勢と完全に一致しています。
 「連歌屋」の地名は、一般的に”太宰府天満宮に連歌を奉納する施設があった”ことが由来とされていますが、このような漢字表記にこじつけた説が真実を語ることはまずありません。

 「太宰府天満宮」の「天満」にしても

◎縄文語:「天満」=「タン・マ」=「こちらの・谷水」


 の意で、境内にある”菖蒲池”、”心字池”を指したものと思われます。 この「菖蒲池」は所在地名の「宰府」と同義です。また、太宰府天満宮の南には「光明禅寺」がありますが、これも”菖蒲池”を指している可能性があります。

◎縄文語:「菖蒲(池)」=「シ・ぺー」=「山の・水」
◎縄文語:「宰府」=「サン・ぺー」=「出崎の・水」
◎縄文語:「光明(禅)」=「コ・オ(・チウェ)」=「湾曲したもの(=丸山)の・ふもと(の・水流、水脈)」

 「コ=湾曲したもの」のつく地名は無数にあります。その多くは「湾曲した川」または「丸山」の意です。「高麗」「駒」「狛」「鴨」「蒲生」などの漢字が充てられ、朝鮮半島と結びつけて由来が語られることが多いですが、まったくの筋違いです。それらが示すのは、単に”朝鮮半島と結びつけて由来を語りたい大きな勢力が権力中枢に存在した”ということです。

 高麗系渡来人の活躍で名高い埼玉県日高市の「高麗神社」も「高麗川=湾曲した川」、神奈川県大磯町の「高麗山」も、京都の「上賀茂神社」も「丸山」の意で、いずれも縄文語由来です。


 太宰府市の「光明禅寺」も「丸山」の意です。


■光明禅寺の後背の山 ※丸山。


■埼玉県日高市 高麗川/高麗神社 ※湾曲する川。

■大磯高麗山  ※持ち手の曲がりのような湾曲した山(丸山)。

■上賀茂神社(京都)背後の丸山。 
■神山(上賀茂神社北方約2km) ※丸山。 社伝では賀茂別雷命が降臨したという。



第四百四十四回第四百四十五回第四百四十六回第四百四十七回第四百四十八回第四百四十九回第四百五十回/ 】 ※google map以外の衛星画像は国土地理院の電子地形図を加工して作成しています。
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第四百四十五回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【福岡】久留米、高良山(高良大社)~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「久留米の地名起源」について(『地名を探る/久留米』朝日新聞1986/9/19 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【史家によると「久留米」が初めて文献史料に登場するのは、戦国末期の天文二十年(一五五一)の高良山神領検地帳で、近世になってこの文字が定着する。それにしてもなぜ久留米か。「地名の起源(久留米市史第五巻「民族」)」の筆者は、諸説をあげているが、多いのは縫職に携わる渡来人の関連説だ、という。たとえば呉媛─呉女(くれめ)─クルメ繰女(くりめ)─クルメなど、また久留倍木─車木(くるめき)─クルメは、糸車の発想で、紡績につながる、などである。】

×「高良大社」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【高良玉垂命というのを主祭神としている高良神社がある高良山のばあいは、その「高良」という神名、地名からして、古代朝鮮と深くかかわるものであった。全国のあちこちにある「高良」「高来」というのはふつう高句麗=高麗がそれとなったものとされているが、高良山の高良は、それがある所の久留米ともかかわる。〈中略〉
 呉媛、呉女というのは、朝鮮語高句麗句麗(高は美称)からきた呉職(くれはとり)という事と同じで、それがこちらでは呉媛、呉女となって久留米となり、「久留米絣」というのもそういう伝統からきたのかもしれない。】

○「高良大社」について(『高良大社略記』 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【高良大社の鎮まります神山として知られる高良山は、別名を高牟礼山不濡山(ぬれせぬやま)とも呼ぶ水縄山脈西端の一峰である。標高三一二メートル余、さほど高くはないが、筑前、筑後、肥前三国にまたがる広大な筑紫平野の中央に屹立し、眺望絶佳。古代より旧教、政治、文化の中心、郡司、交通の要衝として、その歴史に果たした役割は極めて大なるものがあった。】

■■■ 縄文語解釈 ■■■

 上記にはまったく正解がありません。何度も言いますが、漢字表記の意味から地名由来を探るのは筋違いです。日本全国ほぼすべての地名は縄文語地名の仮借の漢字表記なので、基本的に漢字自体に意味はありません。「夜露死苦」の落書きに意味を求めているようなものです。

 「呉(くれ)」などは縄文語の「キ=山」に頻繁に充てられる漢字です。たとえば上記では「呉職」が高句麗と結びつけられていますが、まったく違います。

◎縄文語:「呉職」=「キ・ハッタ」=「山の・淵、水が深くよどんでいるところ」

 の意です。日本全国「秦氏」やその支族の「服部」が活躍するのも、秦氏が「機織り」を得意とするのも「ハッタ=淵、水が深くよどんでいるところ」にこじつけられているからです。「秦氏」”水辺に登場する”ものと決まっています。

 「久留米」と「水縄(みのう)山地」はまったくの同義で、言い換え表現となっています。「呉職」とも似ています。

◎縄文語:「久留米」=「キ・メ」=「山の・泉」
◎縄文語:「水縄(山地)」=「メ・ノッ」=「泉の・岬」

 いずれも久留米市の地勢そのままを表現しています。地名由来に渡来文化の機織りなどはまったくの無関係です。
 

■久留米市の地勢 ※山の泉。 (※国土地理院の電子地形図キャプチャ)



 「高良大社」にしてもその地名に高句麗はまったく関係ありません。
 ただし、神社というものは六~七世紀にヤマト王権を簒奪した北方系渡来人(百済王族、高句麗)周辺の出自を正当化、装飾するために設けられているものなので、高句麗が無関係とは言えません。その証拠に、神社で語られる由緒には縄文語解釈のかけらもなく、それは記紀風土記の荒唐無稽な神話と密接に連携しています。”北方系言語である上代日本語の解釈で由緒が語られている”こと自体が馬脚を露わしている状態なのです。

 「高良山」は縄文語で”うねうねと曲がっている尾根”の地勢を表現しているだけです。別名の「高牟礼山」「不濡山(ぬれせぬやま)」も「高良山」の言い換え表現となっています。

◎縄文語:「高良山」=「コィ・ル・ヤマ」=「魚が泳いで立てる波のような・岬の・山」
◎縄文語:「高牟礼山」=「トコ・ネ・ヤマ」=「突起した節・である・山」
◎縄文語:「不濡山(ぬれせぬやま)」=「ニン・リッ・ネ・ヤマ」=「瘤、ふくれ波の・筋・のような・山」

 縄文語地名と漢字は一意で結びつけられている訳ではありませんので、周辺地名との整合性考慮しながら解釈しなければなりません。多くの場合、周辺地名に解釈のヒントが隠されています。


■高良山の地勢 ※うねうねと曲がっている尾根の山。 (※国土地理院の電子地形図キャプチャ)




騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム
第四百四十七回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【福岡】奴山・縫殿神社・鐘崎・織幡神社・市杵嶋姫命【京都】酒造神(松尾大社)~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「奴山・縫殿宮・鐘崎・織幡神社・酒造神・市杵嶋姫命」について(『古代の津屋崎』奥野正男 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【奴山五号墳の陶質土器は、五世紀前半に朝鮮から土器生産の技術や製鉄、機織などの技術をもってきた渡来集団の首長が、朝鮮からもってきたものではないかと思う。
 朝鮮からきた織姫を祀る伝承をもつ縫殿宮奴山にあり、同系の伝承は、鐘崎織機(おりはた)〈織幡〉神社〈式内社〉や宗像神社内の機殿などにあり、宗像地方に根をはっていく秦氏と深い関係をもっているのである。
  秦氏と宗像氏の結びつきは、文献からもうかがうことができる。京都の酒造神として有名な松尾神社の創建伝承を記した『秦氏本系帳』に、戊辰年(六六八)に胸形〈宗像〉中津宮の市杵嶋姫命松尾日尾に天降り、のち大宝元年(七〇一)に川辺原男と秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾に勧請したとある。】


■■■ 縄文語解釈 ■■■

 『古代の津屋崎』に”奴山縫殿宮朝鮮からきた織姫を祀っている”との内容がありますが、ご多分に漏れず、この神社の伝承もただの縄文語地名の仮借漢字表記にこじつけられているだけです。ほぼすべての神社の由緒はそういうものです。そこに史実性はありません。

 縄文語解釈では、「縫殿」と所在地名の「奴山」は同義で、同一地名の言い換え表現となっています。「奴山」の川下、北側の玄界灘沿岸は「勝浦」地区です。

◎縄文語:「縫殿(宮)」=「ナィチャ・ノッ」=「川岸の・岬」
◎縄文語:「奴山」=「ナィ・ヤマ」=「川の・山」
◎縄文語:「勝浦」=「コッチャ」=「谷の入口」

 「鐘崎」の「織幡神社」も同様に縄文語地名が大元で、こちらも同じ地勢の言い換え表現です。

◎縄文語:「鐘崎」=「カンナ・サン・ケ」=「上にある・出崎・のところ」
◎縄文語:「織機(織幡)神社」=「オリ・パ・タ」=「丘の・岬・の方」

 ちょうど宗像氏と秦氏の関係が書かれているのでご紹介しますが、この”秦氏が活躍するのは全国の水辺”と決まっています。

◎縄文語:「秦(氏)/服部/機織り」=「ハッタ」=「淵、水が深くよどんだところ」
◎縄文語:「太秦」=「ウテュ・マサ」=「間の・水辺の草原」(桂川と支流、または鴨川の間の草原)
◎縄文語:「桂(川)」 =「コッチャ」=「谷の入口」(保津峡の入口)
◎縄文語:「松尾(大社)」 =「マーテュ・オ」=「波打ち際の・尻」(桂川の岸辺)

 「秦氏」の語源は縄文語の「ハッタ」ですが、これは支族の「服部」、得意とする「機織り」の語源ともなっています。

 つまり、秦氏含め、神社由緒等の漢字表記にこじつけた伝承はすべてデタラメだということです。日本の歴史の極めて多くの部分がデタラメで構成されているということです。


■奴山縫殿神社(=川岸の山)、勝浦(=谷の入口)


■織幡神社 ※丘の岬。



 『秦氏本系帳』では”京都の松尾日尾に宗像の「市杵嶋姫命」が天降った”とのことですが、当然、この物語も眉唾ものです。「市杵嶋姫命」と松尾大社に祀られる「酒造神」は、縄文語では同一地勢の言い換え表現となっています。降臨の地とされる「日尾」も類義語です。

◎縄文語:「市杵嶋姫命」=「エテュ・ケ・スマ」=「岬の・ところの・石」
◎縄文語:「酒造(神)」 =「サンケ・チケレ・イ」=「出崎が・崩れている・ところ」 
◎縄文語:「日尾」 =「ピ・オ」=「石の・尻、外れ、ふもと」 

 これらは、松尾大社周辺にある”断層崖”を指したものと思われます。 つまり、宗像と京都の松尾にたまたまあった同じ地勢、地名をたどって「市杵嶋姫命」が移動してきたということです。

 このように、式内社であろうとなかろうと、神社というものは初めからウソをつくために設けられたものです。六~七世紀にヤマト王権を簒奪した北方系の為政者周辺の出自を正当化、装飾することを主目的としていて、その由緒は記紀風土記と密接に連携しています。上代日本語で漢字表記にこじつけた内容が語られることが何よりの証拠です。そこに真実はありません。
 開音節で終わる特徴を持つ上代日本語は、百済王族語、高句麗語と同系の言語です。つまり、扶余系民族だということです。

 神社だけでなく、法隆寺や四天王寺、東大寺などの初期仏閣についても同様で、その名称は所在地の地勢を表現した縄文語地名ですが、こちらも真実が語られることは一切ありません。

 南方系日本先住民の言語は縄文語(アイヌ語)で、中国大陸東夷南蛮、朝鮮半島南部、日本全域が縄文語圏です。日本先住民は絶滅した訳ではなく、北方系渡来人の支配下に入ったものと考えます。日本先住民が歴史の舞台に登場するのは、大規模古墳の時代までと、源平配下の土豪たちが活躍する武士の時代以降ではないでしょうか。


■松尾大社背後の断層崖 ※酒造神の正体「出崎が崩れているところ」。

■宗像大社中津宮の所在地、大島



騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム
第四百四十八回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【福岡】宗像大社(沖津宮・中津宮・辺津宮)・田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神・弁財天・響灘・遠賀川【島根】隠岐~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「宗像大社」について(宗像大社公式HP)
【宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。御祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮中津宮辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。
田心姫神 たごりひめのかみ
湍津姫神 たぎつひめのかみ
市杵島姫神 いちきしまひめのかみ
 『日本書紀(720年)』には、天照大神から宗像三女神へ「歴代天皇をお助けすれば、歴代天皇が祀るでしょう」という言葉が残されています。これは宗像が日本における最初の国際港であったため、海外との外交、貿易、国防的な機能を果たせば、天皇が祀るとされ、それは沖ノ島から出土した約八万点の国宝からも国家祭祀の痕跡が裏付けています。
 国家祭祀とは、天皇の遣い、勅使(ちょくし)が現地に赴いて、祭りをするというものですが、宗像における国家祭祀は出土した国宝の品々から、かなり大規模ではなかったかと推測されています。沖ノ島の出土品は四世紀から九世紀のものが多く、その間、国家祭祀がどの程度行われたかは明確ではありませんが、古い記録などからも天皇の勅使が宗像に遣わされたことを知ることができます。】

■■■ 縄文語解釈 ■■■

 宗像三女神の縄文語解釈が示すのは玄界灘、響灘の自然崇拝です。

◎縄文語:「市杵嶋姫命」=「エテュ・ケ・スマ」=「岬の・ところの・石」
◎縄文語:「田心姫命」 =「タ」=「石の・岬」
◎縄文語:「湍津姫」 =「タチャ」=「石の・岸」
◎縄文語:「響(灘)」 =「ピピ・ケ」=「石がたくさんある・ところ」

 沖津宮、中津宮、辺津宮はそれぞれ所在地の地勢を表現したものと捉えられます。

◎縄文語:「沖津(宮)」=「オ・テュ」=「うなじの(ように窪んだ)・峰」
 ※「沖ノ(島)」=「オ・ノッ」=「うなじの(ように窪んだ)・岬」 google earth→ ※うなじのように凹んだ峰、岬。
◎縄文語:「中津(宮)」 =「ナィカテュ」=「川岸の・峰、岬」
◎縄文語:「辺津(宮)」 =「ペッチャ」=「川岸」

 辺津宮に祀られる市杵嶋姫命は弁財天と同一視されますが、「弁財天」は「辺津宮」と同義です。これも縄文語地名がありがたい渡来系の神様で上書きされた可能性があります。

◎縄文語:「弁財天」=「ペッ・チャ・タ 」=「川・岸・の方」※岸辺=「辺津宮」

 両岸に高台が連なっている「遠賀(川)」、カルデラの「隠岐」も「沖ノ島」と同語源と思われます。

◎縄文語:「遠賀」=「オ・カ」=「うなじ(のように窪んだもの)・の岸」 google map→
◎縄文語:「隠岐」=「オ」=「うなじ(のように窪んだもの)」 ※カルデラの島。google画像検索→


■中津宮(大島) ※川岸の・峰、岬。

■宗像大社辺津宮 ※上流の枝川の入口。川岸。



 また、釣川沿いの「辺津宮」 周辺は、そのまま「宗像」の縄文語解釈が表現する地勢となっています。

◎縄文語:「宗像」=「メナ・クッチャ」=「上流の細い枝川の・入口」

 釣川の上流は宗像の盆地で、いくつもの支流に分岐しています。そこに辿りつくまでの入口のところをアイヌ語で「クッチャ」と呼びます。原義は「クッ・チャ=喉・口」です。”湖沼の入口”などの表現に用いられます。


 宗像大社がその由緒が語るとおり天照大神の時代から存在するのであれば、縄文語地名の意味が語られるはずですが、一切ありません。少なくとも邪馬台国は南方系先住民の時代で、魏志に記される国名からも縄文語が使われていたのは明らかです。言うまでもなく天照大神はそれ以前の時代です。辻褄が合いません。

 まず、北方系言語の上代日本語で書かれる『日本書紀』の内容を下敷きに由緒を語っているようでは、それがデタラメであることを自ら主張しているようなものです。記紀風土記は、北方系為政者周辺の出自を日本の歴史に結びつけ、装飾する目的を含んで編纂されています。そこで語られる神物語の多くは、縄文語地名の仮借の漢字表記にこじつけて創作されたもので、全国の神社の由緒はそれらと密接に連携しています。畢竟、創祀も同時代と考えるのが妥当です。 それ以前を語るのであれば、南方系先住民による自然崇拝を語らなければなりません。



■柏の森(福岡県飯塚市)※岸辺の小さな岬。



 カヤナルミも類語です。もちろん朝鮮半島とはなんの関係もありません。

◎縄文語:「カヤナルミ」=「カヤ・ナ・ル」=「岸辺・の方の・岬」

 記紀に記載のない神ですが、八百万の神のほぼすべてはカヤナルミ同様、縄文語の仮借の漢字表記にこじつけて創作されたものです。
 以下、カヤナルミを主祭神として祀る神社の地勢をご覧下さい。


加夜奈留美命神社(奈良県高市郡明日香村栢森)※「岸辺の方の岬」「岸辺の小さな岬」
(※国土地理院の電子地形図を加工して作成)


■飛鳥坐神社(奈良県高市郡明日香村飛鳥)※「岸辺の方の岬」 (※国土地理院の電子地形図を加工して作成)

■飛鳥神社(奈良県奈良市北京終町)※「岸辺の方の岬」 (※奈良市ハザードマップを加工して製作)


 飛鳥神社はgooglemapなどでは地勢の確認はできませんが、奈良市のハザードマップを見ると、かつて能登川の岸辺だったことがわかります。縄文語解釈が妥当であれば、このような微妙な高低さえも正確に表現していることが分かります。


騎馬民族北方系渡来人のエラーコラム
第四百五十回「漢字表記渡来人こじつけ説のウソを徹底的に暴く!名称由来はすべて先住民の縄文語だ!~【福岡県】韓泊・白木・辛家・加良来・唐木・門司・和布刈【熊本】百済木・唐木・辛家・【宮崎】韓家~」
□□□ 通説・俗説・文献 □□□
×「韓泊・白木・辛家・加良来・唐木・百済木・唐木・辛家・韓家」について(『北九州の古代を探る』竹中岩夫 ※『日本の中の朝鮮文化』より引用)
【韓泊とは韓、つまり朝鮮半島南部から来た人々の居留地を意味する。万葉集巻十五の「韓亭能許浦浪(からどまりのこのうらなみ)たたぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし」の歌で知られる福岡市北崎の唐泊をはじめ、現在でも全国に数個所の「カラドマリ」が知られている。〈北九州市〉若松区の韓泊は、地名が現存しないのでどの付近であったか明らかでないが、私は脇の浦部落のすぐ南にある字「唐木」がその跡と推定している。
 新羅人の居留地であったところを、白木と称しているところは多い。これは新羅来(しらぎき)の転で、すなわち「新羅から来た人々の居所」と考えられている。北九州には八幡区大字畑に白木、門司区大字楠原に白木崎がある。
 また、熊本県八代郡坂本村百済木は、百済人の居住地で、百済来と推定されている〈大日本地名辞書ー吉田東伍〉。唐木韓来であろうか。また和名抄の日向国〈宮崎県〉児湯郡に「韓家」、筑前国〈福岡県〉宗像郡および肥後国〈熊本県〉菊池郡に「辛家」があって、ともに「カラケ」とよむと思われるが、あるいは唐木は、韓家の転かもしれない。
 カラキという地名は、このほか福岡県内には次のようにある。北九州市小倉区曽根吉田の加良来/同八幡区前田の唐木/田川郡香春町の唐木/築上郡大平村唐原下唐原の唐木/宗像郡津屋崎町勝浦奴山の唐木。】

×「北九州市の白木崎・新羅・百済」について(『日本の中の朝鮮文化』金達寿)
【(北九州市の「白木崎」「新羅」「百済」は)堤富雄氏の「古代朝鮮と北九州」にも書かれていて、それによると、もとあった新羅崎はいまは白木崎となり、百済楠原(くすばる)となった。それにまた、付近には高句麗の高麗江というところもあって、それは小森江となっているというのだった。〈中略〉
 地元の郷土史家にでもそうと教えられなくてはまったくわからない、ことばの転訛である。】


■■■ 縄文語解釈 ■■■

 「韓」「唐」は縄文語の「カ」に頻繁に充てられる漢字です。

◎縄文語:「カ」=「まわる」
※川、山などが曲がっている様。山の場合、多くは「丸山」の地勢。

 決して朝鮮半島との関係を指している訳ではありません。「韓来」「新羅来」「百済来」、そして「高麗来」もあるのか、こんないいかげんなことをいったい誰が言い始めたのでしょうか。いずれも単なる漢字表記の語呂合わせで、本当の意味はまったく違います。

 上記の通説、俗説のうち比定地の確かなもの順番に検証します。

 まずは、福岡市北崎の「唐泊」から。「トマリ」からしてアイヌ語で「碇泊港」の意なので、「唐」も同様に解釈するのが妥当です。

◎縄文語:「唐泊」=「カ・トマリ」=「まわる・碇泊港」※丸山の港

  「唐泊」は「丸山の港」の意です。


■「唐泊」遠景 ※丸山の港。


 北九州市若松区 脇ノ浦の南の「唐木」も”丸山”の意と思われます。

◎縄文語:「唐木」=「カ・ケ」=「曲がっている・ところ」※丸山


■北九州市若松区 脇ノ浦の南の「唐木」 ※丸山。



 筑前国〈福岡県〉宗像郡の「辛家」については、比定地は不明ですが、宗像郡には「神湊(こうのみなと)」という地名があり、縄文語の「カ」の類似表現とも捉えられるので参考までにご紹介します。

◎縄文語:「辛家」=「カ・ケ」=「曲がっている・ところ」 ※丸山
◎縄文語:「神湊」=「コ・ノツ」=「湾曲している・岬」 ※丸山の岬

 「コ」には、「高麗」「狛」「蒲生」「鴨」が充てられることが多く、「丸山」あるいは「湾曲する川」の表現に用いられます。まれに「湾曲する峰」などがあります。頻繁に地名に登場し、多くは朝鮮半島の高句麗と結びつけられますが、ほぼすべて無関係です。埼玉の「高麗川」、神奈川の「高麗山」の例も併せてご覧下さい。


■神湊港(福岡県宗像市神湊港) ※丸山の港。
■埼玉県日高市 高麗川/高麗神社 ※湾曲する川。
■大磯高麗山  ※持ち手の曲がりのような湾曲した山(丸山)。



 次は肥後国の「辛家郷」。菊池郡七城町が遺称地で、”ジャパンナレッジ”の『日本歴史地名大系』では主に「七城町の加恵・高島・高田・流川などの迫間はざま川流域と菊池川右岸一帯」とあります。

 「辛家郷」の訓はなく、「からえ」「からけ」「からや」「からいえ」「からやけ」などの候補があります。
 縄文語解釈すれば次のようになります。

◎縄文語:「辛家」
=「カ・ケ」=「曲がっている・ところ」

or「カ・ヤ」=「曲がっている・陸岸」
or「カ・ヤケ」=「曲がっている・陸岸のところ」

 筆者はこの「辛家郷」の比定地が「七城町高島」の東に隣接する「七城町菰入」地区ではないかと考えています。ここに「鴨川(公園)」という地名があります。
 前述のように「鴨」は「コ=湾曲している様」に充てられることが多く、「湾曲する川」「丸山」を指すことがほとんどです。また所在地名の「菰入」もその発音から「コ」を含む可能性が多分にあります。

◎縄文語:「鴨(川)」=「コ・マ」=「湾曲する・谷川」
◎縄文語:「菰入」=「コ・イ・イ」=「湾曲する川が・ひとつづきである・ところ」

 「菰入」は”菊池川”と”鴨川”が分岐して同じように湾曲しているところを表現したものと捉えられます。「コ」の原義は鍋などの「つる(持ち手)」ですから、鴨川の地勢と完全に一致していることが分かります。


■七城町菰入 ※菊池川と鴨川が分岐してともに湾曲しているところ。「湾曲する川がひとつづきであるところ」。



 北九州市小倉区曽根吉田の「加良来」については、比定地がいまひとつ判然としませんが、「唐木」同様に

◎縄文語:「加良来」 =「カ・ケ」=「曲がっている・ところ」

 と解釈できるので、「中吉田」の”綿都美神社”周辺、竹馬川支流の地勢がふさわしく見えます。


■綿都美神社(北九州市小倉南区中吉田)周辺 ※曲がっている川。



 八幡区前田の「唐木」は考えるまでもなく、洞海湾の埋め立て前の岸辺の地勢を表現しています。

◎縄文語:「唐木」=「カ・ケ」=「曲がっている・ところ」


■洞海湾(北九州市八幡東区)※曲がっている岸、岬。(※国土地理院の電子地形図を加工して作成)



 田川郡香春町の「唐木」は比定地が不明ですが、この地域の香春神社に主祭神として祭られる「辛国息長大姫大自命」に含まれる「辛」が「唐木」と同一地勢を表現した可能性があります。

◎縄文語:「唐木」=「カ・ケ」=「曲がっている・ところ」
◎縄文語:「辛国」=「カ・コッネイ」=「まわる、巻く・谷のところ」 ※曲がっている谷。金辺川。

 ちなみに、神功皇后(気長足姫尊)と同一視される「辛国息長大姫大自命」ですが、これはおおよそ神功皇后の拠点とした地域と地勢(縄文語地名)が一致することから創作されたものと推定できます。他の神話も同じ方法で創作されています。

◎縄文語:「気長足(姫)」 =「オ・ナィ・カ・トラィ・ウシ」=「窪んだ・川・のほとりの・湿地の水たまり・のもの」
◎縄文語:「(辛国)息長/大姫/大自」 =「オ・ナィ・カ/オオ・シンプィ/オオ・マ」=「窪んだ・川・のほとり/大きな・湧水/大きな・谷水」」

 「辛国息長大姫大自命」の「大姫」と「大目」はよくある言い換え表現となっています。香春神社周辺、金辺川流域に湿地帯があったということです。

◎縄文語:「金辺(川)」 =「キピ」=「水際にそそりたつ崖」※香春岳。

 「姫」に充てた「シンプィ=泉」はヒメコソ神社にも見られます。ヒメコソ神社は「湧水のほとりの神社」です。

■香春神社前を流れる金辺川 ※曲がっている谷。




 福岡県築上郡上毛町下唐原の「唐木」は山国川の曲がっている地勢を指したものと思われます。


■唐木(福岡県築上郡上毛町下唐原)※曲がっている川。



 日向国児湯郡の「韓家」、宗像郡津屋崎町勝浦奴山の「唐木」は残念ながら所在地が不明です。


 日本全国「白木」はたとえ「新羅」の表記であっても、地名由来は新羅国とは一切関係ありません。北九州市の白木崎も同様です。

◎縄文語:「新羅崎」=「シ・オ・ケ・サン・ケ」=「山・裾・のところの・出崎・のところ」

 地勢と完全に一致しています。

 北九州の「百済」と「楠原」、「高麗江」「小森江」はいずれも縄文語によくある同じ地勢の言い換え表現です。決して『日本の中の朝鮮文化』にあるような「郷土史家にでもそうと教えられなくてはまったくわからない、ことばの転訛」などではありません。

◎縄文語:「百済」=「クッ・チャ」=「(瀬戸内海or響灘の)喉・口」
◎縄文語:「楠原」=「クッ・パ(orパロ)」=「(瀬戸内海or響灘の)喉・口」=「百済=クッ・チャ

◎縄文語:「高麗江」=「コ・マ・エ」=「湾曲した・谷水の・頭」
◎縄文語:「小森江」=「コ・オロ・エ」=「湾曲した・ところの・頭」=「高麗江=コ・マ・エ」

 「高麗江」「小森江」は湾曲する関門海峡の地勢かとも思ったのですが、当該地域の南がちょうど湾曲した低地となっているので、かつての「入り江の頭(端)」を表現したのかもしれません。

 いずれにせよ、漢字表記こじつけ説に真実はありません。


■関門海峡周辺の縄文語解釈 (※国土地理院の電子地形図を加工して作成)




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◎参考文献: 『地名アイヌ語小辞典』(知里真志保著、北海道出版企画センター)※参考文献を基に、筆者自身の独自解釈を加えています。/『日本書紀 全現代語訳』(宇治谷孟 講談社学術文庫)/『古事記 全訳注』(次田真幸 講談社学術文庫)/『風土記』(中村啓信 監修訳注 角川ソフィア文庫)/『古語拾遺』(西宮一民校注 岩波文庫)/『日本の古代遺跡』(保育社)/wikipedia/地方自治体公式サイト/ほか

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